パウロを「統治体」の成員にした理由 | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

さて前の記事でも書きましたが、

JWは以前はパウロは統治体の成員ではないという見解を取っていました。

しかし最近は統治体の成員であるという見解を取っています。

あまりこのことを話題にする人も少ないですが、これも「新しい光」のひとつです。


 

問題はなぜこのように見解を変えたのでしょうか。以下推論と考察です。


 

現在の統治体はとにかく自分たちの立場を権威付けするためにあらゆる謀議を巡らします。

そこで彼らの視点で考えていきたいと思います。


 

まずなぜ当初パウロは統治体の成員でないと考えていたのでしょうか。

考えられる理由はパウロはエルサレムに常駐していなかったということです。


 

使徒15章の記述を用い現在の統治体は「パウロはエルサレムに常駐する統治体にお伺いをたてに行った。」という印象を与える説明していました。この説明ではパウロは統治体の構成要員ではありません。つまりパウロはこの合議に加われないことになります。

 

しかし普通の読解力を持ってすればパウロもその合議に加わっていたのは明らかです。


 

使徒15章

1さて,ある人たちがユダヤから下って来て,「モーセの慣例どおり割礼を受けないかぎり,あなた方は救われない」と兄弟たちに教えはじめた。2 しかし彼らを相手に,パウロとバルナバによって少なからぬ争論と議論が起きた時,人々は,パウロとバルナバおよび自分たちのうちのほかの幾人かが,この論争のことでエルサレムにいる使徒や年長者たちのもとに上ることを取り決めた。・・・4 エルサレムに着くと,彼らは会衆および使徒や年長者たちに親切に迎えられ,が自分たちを通して行なわれた多くの事柄について細かに話した。・・・6 そこで使徒や年長者たちは,この件について調べるために集まった。7 さて,多くの議論が出てから,ペテロが立って彼らにこう言った・・・12 すると,一同は沈黙してしまった。そして,バルナバとパウロが,自分たちを通してが諸国民の間で行なわれた多くのしるしや異兆について話すのを聴くのであった。・・・22 そこで,使徒や年長者たち,また全会衆は,自分たちの中から選んだ人々を,パウロおよびバルナバと共にアンティオキアに遣わすことがよいと考えた。


 

この記述だけを偏見なく読めば、パウロも「統治体」の成員であったように思えます。ですから現代の統治体が以前に説明していた「パウロですらも統治体の成員ではなく、統治体の決定に謙遜に従っていた」風の説明のほうがはるかに非聖書的です。

 

しかしパウロを統治体の成員とすると、西暦49年に開かれたエルサレム会議の後、

すべての書簡をエルサレム以外の地で書いたパウロの指示に「統治体がしたがった」ことになり、これではエルサレム常駐統治体の権威が著しく軽んじられることになります。

 

(実際パウロの書簡で最も早いものは西暦50年コリントで書いたガラテヤ書とテサロニケ第一の書です。)

 

さらにパウロはエルサレム会議ののちに、偽善的行為をした“1世紀の統治体成員”ペテロを衆人の前で面罵しています。


 

ガラテヤ2章

14しかし,彼らが良いたよりの真理にしたがってまっすぐに歩んでいないのを見た時,わたしはみんなの前でケファにこう言いました。「あなたは,自分ではユダヤ人でありながら諸国民のように生活し,ユダヤ人がするようにはしていないのに,どうして諸国民の者たちに,ユダヤ人の習わしにしたがって生活することを強いているのですか」。


 

統治体の成員でないパウロが統治体の成員であるペテロを叱責したのです。

 

もしここでパウロが統治体の成員でないことを押し通すと、統治体の成員でない人でも統治体の成員を叱責できることになります。これは統治体のメンツの面子にかかわることです。ほめられることばかりに慣れきっている彼らにしてみると衆人の前で面罵されることはもはや死ぬより辛い耐えがたい屈辱なので何としても避けたい。とすればパウロも「俺たちの仲間」にしなければならないということになったのではないでしょうか。「統治体の特別の代表者」というのは特権捏造大好きグループの「新しい特権」だと思います。


 

特別の代表者というのは今日存在することはないでしょう。今日ニューヨークに常駐しない特別の代表者を認めるならばどうなるでしょうか。エルサレムに常駐していないパウロを統治体の成員だと認めた結果、旅行先のあちこちに手紙を書いていたパウロの指針に従っていたことをふまえると、エルサレムの統治体がその指示に従っていたことになります。もはや中央集権ではないのです。


 

これは例えば地帯監督が訪問先で突如良心に目覚め目、山奥で安逸な生活を送る仲間を裏切って、以前の解釈をすべて否定する文言を合議なしで述べた場合それが聖書的ならば、統治体の残りの成員が7人がテーブルの前で一斉に頭を下げなければならないことを許すことになります。


 

実際今日そんなことをするとレイモンドフランズのように背教者として処分されます。

1世紀に統治体なるものがあったとし、そこのメンツが今の統治体の成員であったらパウロは「背教者」でしょうね。


 

 以上の考察は、その場しのぎでミラーボールのように光を変える新しい光という御都合主義の現代の統治体の考えで、1世紀の統治体という架空の組織がでっち上げられたというものです。