1世紀における統治体存在の主張の脆弱性 | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

現在の統治体なるものは自分たちの権威を正当化するために1世紀にも統治体が存在したと主張しています。


 

しかし彼らが主張するのはたった一つ、西暦49年に生じた、異邦人の割礼の是非に関する問題の事例のみです。

このたった一つの事例を錦の御旗のごとくすがって自分たちの権威を主張するわけですが、果たしてこの事例が今の彼らの権威の根拠になるのでしょうか。

 

1世紀にエルサレムにおいて統治体が存在したかどうかは甚だ疑問です。

特にその常駐性は疑問です。


 

構成要員としては「徹底的な証し」の書籍では15章11節で

「パウロとバルナバは統治体の特別な代表者として任命されていました。パウロは統治体の成員になったようです。」とありますが、この根拠となる説明はありません。重なる二つの世代の時と同様統治体は聖書的根拠がない時にはこの「~ようです。」という言葉でごまかします。そもそも特別な代表者とはなんでしょうか。


 

というのもパウロと統治体の関係は以前は次のように述べていました。

この記述ではパウロは統治体の成員ではなかったという見解です。


 

「クリスチャン時代にも,神から与えられた権威を敬った人たちの際立った手本があります。パウロの例を取り上げましょう。パウロは,1世紀のクリスチャン会衆の統治体の決定に敬意を払いました。パウロはエルサレムを最後に訪れた際,儀式上の清めを行なって,モーセの律法に逆らう気持ちなど抱いてはいないことを他の人々に示すように,という助言を統治体から受けました。パウロはこう考えることもできたでしょう。『この兄弟たちは以前,わたしの命が脅かされた時,エルサレムを離れるよう指示した。今度は,モーセの律法を尊重していることを人前で示すよう求めている。わたしはガラテアの人々に,律法を守ることにとらわれないようにという趣旨の手紙をすでに書き送っている。もしわたしが神殿に行くなら,その行動を見て誤解し,割礼組の者たちに譲歩しているとみなす人もいるだろう』。しかし,パウロはそのようには考えなかったようです。クリスチャンとしての原則を曲げることにはならないので,1世紀の統治体からのその助言を尊重し,それに従って行動しました。」     2000年6月15日号「権威を与えられている人々を敬いなさい」10節


 

この記事の目的は統治体に絶対服従を要求するためパウロですらも統治体には敬意を払ったということを思い知らせるためでした。しかしパウロが統治体の一員でなかったという見解を変えた理由は統治体にとって以前の見解では不都合だからでしょう。


 

パウロは様々な書簡をコリント、エフェソス、ローマ、マケドニアなどで書きました。そしてこの手紙が当時のクリスチャンにとっては重大な指針となりました。このことはエルサレム常駐の統治体という概念を完全に覆します。しかもパウロは合議ではなく神の聖霊に導かれ単独で指示を出しました。これは「難しいことを合議制で決定した。」という現代の統治体の主張とは相反するものです。エルサレムに統治体が常駐していたかのような印象を与えるのはわずか一例ですが、神の聖霊による指示は常駐媒体を通してくるものではない例は圧倒的です。したがって理性を働かせて考えれば、西暦49年の出来事を特殊な例とみなさなければなりません。


 

各会衆で生じた問題を一度話し合わなければならないと考えたパウロとバルナバはおそらく臨時の処置として主だった長老たちを集合させて論じ合い、決定した項目を各会衆に伝えるという手だてを取ったに過ぎないと考えるほうが自然です。

例えばある野球チームには試合中ピンチになったときに監督がいないので、内野陣が集まって作戦を練るようなものです。


 

1世紀に統治体が存在しなかったということは私たちを統治体の束縛から解放するものとなるでしょう。これは私たちがキリストの犠牲を通して神と直接的な関係を持つのに有益です。実質的にはキリストを退け、その立場に入り込もうとして私たちと神との関係に割り込もうとする統治体の存在を私たちは何としても論理的に排除しなければなりません。


 

この点に関してはさらに考えていきたいと思います。