幼稚園に入園する頃だった。
床屋で髪を切っている途中で、泣きながら家に帰ったことがある。
男の子のように刈り上げられたからだ。男の子と間違われている、という恐怖で、矢も楯もたまらず、立ち上がって逃亡を図ったのだ。
家で母に泣きながら、男の子と間違えられたみたいだ、と訴えた。母は、事態を飲み込むと、私を連れて床屋に戻った。母は、いつも床屋に私一人をあずけて、その間、家の用事をしていた。
理容師は女性だった。彼女は、私がいきなり泣き出して店を出て行ったことに驚き、どうしたものか、と思案中だったようで、私たちを見ると、ほっとしたようだった。
それから、女性理容師は、入り口に立って中に入ろうとしない私を時々見ながら、母と話し込んでいた。
母は代金を払い、私の手を引いて店を出た。私の散髪はほとんど仕上がっていたようで、再び、鏡の前に座らされることはなかった。振り返ると、女性理容師は気の毒そうに私を見ていた。
母は、帰宅した父に、出来事を報告した。
「あの人、斜視だから、間違えたのよ」と母が言うのが聞こえた。
女性理容師は時々、どこを見ているのかわからない目をする人だった。
入園式の写真には、女の子の列に、マッチ棒のような頭の私が写っている。
この話にはうんと時が経って、後日談がある。
ある年のクリスマス。
ひとり暮らしの母と待ち合わせて、賑わう街を歩いていた。
若い母親と手をつないだ小さな女の子とすれ違った。髪の長い女の子で、毛先をくるりとカールしていた。
思わず振り返って、「かわいい」と言うと、母は少し口を曲げて、不機嫌そうに「どこが?自分じゃ洗えないくせに」と言った。母の言葉に大笑いする私を見て、母も笑った。
予約したレストランでクリスマスディナーを食べて、母と別れた。
あの日。泣きながら家に帰った私の髪を見て、母は驚かなかった。店に戻って、女性理容師と話す母は、別段、、抗議するでもなく、愛想が良かった。おそらく、女性理容師は、最初に母に頼まれた通りに、私の髪を切ったに違いなかった。
マッチ棒のような私の頭を見て、母は「これなら自分で洗える」と思っただろう。母にとって、幼子の可愛さとは、自分の髪を自分で洗えること。だから、あの髪の長い女の子より、当時の私の方が、うんと可愛らしい、と思っているに違いないのだ。
人は、自分の流儀に合ったものを愛する。特に母は、そういう人だ。
母の言葉に笑ったのは、マッチ棒のような頭の私を、母が可愛いと思ったことが可笑しかった。
可笑しいけれど、幸せな気分になったのだ。




