J君が、化学物質過敏症を発症したのは、浪人生活を始めてすぐだった。
まず。電車に乗れなくなった。
乗ると、息が上がって、すぐ下りてしまう。
都心の予備校まで通えなくなった。
それでも、頑張って、予備校まで辿り着いた日もあった。
でも。
教室に入れなかった。
新学期に入り、予備校は入念なワックス掛けを施していた。
母親のR子さんは途方に暮れた。
J君は小中高と野球少年だった。
乳児期、ひどいアトピー性皮膚炎だったJ君にR子さんはスポーツを勧めた。
R子さんは言った。
「アレルギー体質は、変わることはないんだって。でも、体を丈夫にすることで表に出ないんだって」。
若くして母親になったR子さんは、当時のJ君の主治医の言葉を、掟のように胸に刻んでいた。
実際、幼少期より水泳教室やサッカー教室に通ったJ君は、
皮膚もきれいで、喘息になることもなかった。
J君は学業は優秀だった。
野球を引退するまで続け、浪人すれば合格するという大学を目指した。
その矢先の化学物質過敏症の発症だった。
R子さんは当時を振り返って言った。
野球をやめて、汗をかかない生活になった。Jが、頻繁に、コンビニのおでんを買って、汁まで飲み切っていたのが気になっていた。部屋を閉め切って、お気に入りの歌手のCDを作って、ケースにカラースプレーを塗っていた。Jの部屋に入ると、シンナーの匂いがした。おでんも、カラースプレーも受験勉強のストレス解消だと思って、口出ししなかった。落とし穴がそこにあった。気を抜いたらいけなかった。Jに、持って生まれた体質について、伝えなきゃいけないことがあった、と。
私は、その時、初めてR子さんの涙を見た。
奇跡は起こった。
R子さんの夫は、ある地方都市に単身赴任中だった。
たまたま仕事先で知り合った医師が、化学物質過敏症の専門医だった。
奇跡は続く。
数年前、その医師の患者にJ君と同じ症状で、予備校に通えない患者がいた。
医師は、その予備校に直談判をして、ワックス掛けをやめてもらった。
以来、床は水拭きだという。
R子さんは、J君を夫の赴任先に転居させることにした。
夫の住む社宅は築20年で、家の中に建築時の化学物質は残留していない。
これも大事な条件だった。
R子さんの自宅は築5年で、建材やシロアリ駆除剤などの化学物質が家全体に残留していた。
化学物質過敏症を発症すれば、これは最大のネックとなる。
「家」に住めない。
事実、J君は自宅のベランダで過ごすことが多かった。
J君は、転居によって、住める家と、通える予備校と、優秀な主治医を得た。
自宅に他の家族のいるR子さんは、
夫とJ君の住まいと自宅を頻繁に往復する日々が始まる。
が、苦労でなかったことは言うまでもない。
R子さんは言った。
私はあの時、一生分の運を使い果たした、それでもかまわない、と。
J君は希望校に合格した。
ひとり暮らしを始める際、アパートの大家さんに、R子さんは、
J君の現状を伝え、入居前の掃除は水拭きでお願いします、と言った。
J君は、化学物質過敏症と折り合っての大学生活だったようだ。
それでも、主治医の治療と、環境が変わったのが功を奏したのかもしれない。
バックパッカーで、インド旅行をするまで健康を取り戻した。
J君は社会人になった。
花粉の季節はしんどいようだ、とR子さんから聞いたことがある。
深刻な時期をくぐり抜けたR子さんのその言葉は、明るく屈託なかった。
