アーシングエブリナイト -22ページ目

アーシングエブリナイト

10年間、夜は導電性シートを使ってアーシングをしながら寝ています。目覚めた時、ゼロボルトの脳とカラダは純正の私そのもの。紡ぐ言葉も私そのものでありたい。

先日、運転席の友人の具合が悪くなり、急遽運転を代わった。

座席の調節をする間がなく、背中と背もたれが密着した状態で1時間ほど運転した。

途中、背中が猛烈痒くなったが、我慢した。

運転しながら、痒みの原因は分かっていた。

着ていた表地がナイロン製のジャケットと、

ウレタン製の背もたれの摩擦で起こる静電気が原因に違いなかった。

物質の帯電列表でも分かるように、ナイロンとポリウレタンは最も静電気が起きやすい対極に位置する。

で。

ナイロン製の衣服で乗車する時は、

座席はもちろん、シートベルトの締め付けにも注意していた。

車内の備品はほとんどウレタン製だ。

衣服の摩擦で起きる静電気は、電化製品の電場と同じで、伝播する。皮膚が痒くなる。

冬場の車内は乾燥していて、静電気は起きやすいので、要注意だ。

 

帰宅して、即行、導電性シートのアーシングで、するすると痒みは抜けていった。

でも、我慢できずに掻いた部分が今も少し傷になっている。

最近、よく耳にする、マスクのウレタンかぶれ。

ウレタン製でなくても、皮膚と異素材ならば、静電気は起こり、

皮膚の弱い人は異常があるはずだ。

で。

アーシングの勧めです。

空いた時間に土や土と繋がった自然に触れて、体の電気を抜いて欲しい。

アーシングは、静電気防止にもなるけど、体の炎症を抑えてくれる抗酸化作用がある。

かぶれの原因がなんであれ、炎症を抑えてくれる、と思う。

一日30分。劇的変化はなくても、続ければ症状は軽減すると思う。

マスクとは長い付き合いになります。

急がば回れ、でアーシングの習慣を勧めます。

 

文庫本を買った。

帯に最高傑作とあり、増版決定などと、これ以上ないくらいの褒めようだった。

で。買った。

読み終わって感想は、今は出版業界は大変なんだなあ、と思った。

購入してもらうためなら、少々の嘘もつくんだなあと思った。

そんなことは分かっていたつもりだったけど、

久方ぶりのだまされた感が、妙に新鮮だった。

 

美容液を買った。

サンプルを使って、効果を感じたので購入しようと決めた。

一応、口コミを見ると、容器がすぐ倒れやすくて、もう買いません、みたいなのがいくつもあった。

でも、容器が倒れるくらい気を付けたらいいだけの話だし、

大事なのは美容液成分だと思った。

で。買った。

半月ほど使って、効果はやっぱり感じるし、容器についても、これを倒れやすいというなら、

醤油ビンにでも入れ替えたら?と言いたい。

あの口コミは、ネガティブキャンペーンかなと思う。

偽情報に惑わされなかった自分を褒めたい。

 

 

 

 

 

 

 

我が家のトイレには、大工さんが作ってくれた木の収納棚がある。

それには、建具屋さんが作ってくれた木の扉が付いている。

木は、湿度を調節してくれる、とはわかっていたが、

越してきてしばらくは、そこに収納するトイレットペーパーは、2,3個だった。

購入時の袋(8個入り)に入れたままの方が、紙が湿気ない、と思ったからだ。

が、間もなく、ロフトに置いた残りのペーパーを、踏み台に乗って下す手間が面倒になり、

購入したら、全部を袋から出して、棚に収納するようにした。丁度、収まる。

結論から言うと、ペーパーは最後の一個まで湿気ていない。

私は就寝時、風呂場と脱衣所の戸を朝まで開け放つ。

目覚めて、家の中の湿り度が丁度いいからだ。

漆喰壁と木の調湿効果のお陰と思っている。

 

入居して数年間、家鳴り(やなり)がした。

家に馴染んでいない無垢材が、気温や湿度で収縮して起こる音だ。

パキッとかポコンといった音で、最初正体を知らない私は、

台所の潰したペットボトルのへこみが戻る音と思った。

家鳴り、と知り、家が鳴くと書く、その言葉の響きに少し恐ろしさを感じ、

でも、その恐ろしさが楽しかった。

アーシングで大地と繋がる世界を知って、私は目に見えないものを信じるようになった。

むしろ、目に見えるものより、「本当」があると思うようになった。

不遜ながら、人間についても見方が変わった。

目に見える姿、その人の言葉。それがその人のすべてではない、と思うようになった。

人は、他者に見せるために存在するのではなく、

自身が自身を探る、それが「生きる時間」と思うようになった。

私は愛する人に自分がわかってもらえないもどかしさに悩んできたが、間違っていた、と思う。

人は自分の足元だけを見て、しっかり生きればいい、それだけだ。

家鳴りを聞かなくなって久しい。

でも、気持ちを静めると、木の呼吸を聴くことができる。

ひんやりとして、湿り気のある息で、いつもそこに在るものだ。

 

今日は、好きな音楽を聴きながら、アーシングをしながら文を書いた。

今は亡き文章の師匠は、「筆が走る時ほど用心」と言った。

笑いながら言ったか、大真面目に言ったか、思い出せない。

どちらの表情も思い描けるのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

田舎暮らしで、初めて外の空気で体調不良になる体験をした。

街中を歩いて、排気ガスで喉がいがらっぽくなったことは度々あるが、

一見澄んで見える空気が、体調不良の原因になることは驚きだった。

電磁波カットの家に住んでも、一番体が喜んで、気持ちが良いのは、

電化製品を稼働させずに、窓から自然の風を取り込む暮らしのはずだ。

田舎は空気が綺麗だから、エアコンを稼働させない季節は、

思い切り窓を開けて暮らせると思っていた。

でも、違った。

田んぼや畑に囲まれた我が家は、ほぼ一年中、

農薬、除草剤、野焼きで汚染された空気に囲まれている。

大陸からのPM2.5や黄砂が混じる時もある。

もちろん。

いつも体が反応するレベルの健康被害があるわけではない。

でも、年に数回、庭仕事の後、

頭が重く、身の置き所のないイライラ感に襲われることがある。

それは、以前、電場に囲まれた暮らしで感じたダメージと似ていて、

実際、窓を閉めて、家で30分ほどアーシングをすると治る。

この体験が、アーシングが電磁波だけにとどまらず、

他の負の環境因子にも効くことの気付きにつながった。

ところで。

我が家のお隣さんは、高齢女性のひとり暮らし。

この方は喘息持ちで、一年を通して、咳込むことが多い。

不謹慎かもしれないが、ほぼ同じ環境下に暮らすこの方の咳加減を、

大気汚染のバロメーターにしている。

実際、この方の咳が激しい時は、調べると、農薬散布の後だったりする。

私も守りの態勢に入るというわけだ。

咳で苦しむ人を尻目に、ホント、不謹慎。ゴメンナサイ。

 

屋外のアーシングは、誰もが最適な条件で実践できるわけではないと思う。

空気が悪かったり、携帯基地局が近くに在ったり、と。

でも、やらないよりはやった方がいいし、

3日坊主よりは、続けた方がいいです。

私がアーシング生活で気付いたこと。

ゆっくりと結果が現れるものは、確実にその人に定着して、

悪い方に後戻りしない、ということだ。

健康法にとどまらず、この気付きは、学びの姿勢にも、人間関係にも通ずる、と思う。

 

 

 

 

以前、磁場カットのドライヤーを買おうと思うが、

本当にダメージがないだろうか、と相談された女性。

女性は電場の強い固定電話で舌がしびれる症状が出るので、

おそらく電場のダメージはあると思うが、試しに、導電性シートでアーシングしながら使ってみて、

と提案した件で、報告があった。

結果から言うと、アウト。

アーシングをすると、しない時よりダメージは小さいが、やはり、ダメージが体に残る、らしい。

頭に当てる熱風なら、おそらく、いらいらするような鈍痛かと思う。

女性はドライヤーを返品した、という。

私も同じ製品を持っているが、10年前の購入時と比べ、価格が倍になっていた。

電磁波に関心のある人が増えたか、実際、過敏症の人が増えているのだと思う。

ドライヤーは、手に持つので、手から猛烈に電場が伝播するし、

ドライヤーと頭の距離を置くのにも限界があるので、脳にも相当ダメージがある。

もっとも、電磁波の中で暮らしていれば、今更ダメージを感じない人も多いはずだ。

ダメージを感じなければ、健康被害はないのか。

ダメージを感じなくても、健康被害は起こっているのか。

よく訊かれるけど、難しい。

その人その人で自然治癒力や免疫力が関係すると思うから。

ただ。

体のアンバランスが始まっている人は、体がダメージをキャッチするはずで、

あらゆる負の環境因子に反応する前に、生活の環境改善を図るべき、と思う。

この初動の早い遅いで、先の人生は変わってくる(脅すようだけど)、と思う。

 

体に電気が溜まると、鬱っぽくなったり、皮膚が痒くなったりする。

アーシングは、体に溜まった電気を抜いてくれるので、これらの症状を抑えてくれる。

でも、アーシング効果は、それだけではない。

例えば。

小さな切り傷ひとつでも、その炎症で起こる体のアンバランスを正そうとしてくれる。

アーシングの抗酸化作用で、元に戻ろうとするメカニズムが働くのだと思う。

私は就寝しながらのアーシングを8年続けているが、足の甲やすねの傷の治りは早く感じる。

同じ感想を持つ人を2,3人知っている。

そろそろ屋外のアーシング季節。

一日に30分、リラックスして、裸足で土に触れて欲しい。

ただし。ポケットのスマホは電源を切ること。

 

コロナ感染者が増え、ワクチン開発がメディアで、取り上げられた頃。

報道番組で、女性MCが、「ワクチンの開発は、明るい兆しではありますよね」、

とゲストの医師に訊ねたら、

「もちろん、そうです。希望があれば、人の免疫力も上がります」と言った。

何気に感動した。

 

先日、美容室で、美容師が、近頃韓流ドラマのDVDにハマっているという話をした。

『冬のソナタ』の話になって、私がまだ見ていない、と言うと、

「生理の上がった女性が、あれ見て、また始まったらしいですよ」と言った。

「それって、何か悪い病気かもね」と大真面目で返すと、

正面の鏡にうつった美容師がはさみを止めて、驚愕の表情で私を見ていた。

ホラーかと思った。

うん。このシーン、何気に感動しました。

 

 

 

私は5歳くらいまで、駄菓子を食べたことがなかった。

母が、体に悪い、と食べることを禁止していた。

近所に駄菓子屋が一軒あった。

遊びの途中で、友達が店に入ると、いつも道端で待っていた。

優しい友達は、いつも一口食べさせてくれた。小さくて可愛くて甘い駄菓子は、美味しかった。

ある時、どうしてもまるまる自分の分を食べたくて、

母に内緒で、ポケットに10円を入れて、ひとり駄菓子屋に行った。

大きな透明の瓶に入った丸いコメ菓子をつかんで、10円を番台みたいなところに置いた。

店番のおじいさんは、あちこちから出される10円を忙し気にさばいていた。

私が、くるりと背中を向けたところで、「お金は?」と聞こえた。

振り向くと、おじいさんが睨むように私を見ていた。

周りの子供たちも不思議そうに私を見た。

私がぼそぼそと、そこにお金を置いた、と言いながら指さすと、

そこに置いたはずの10円はなかった。

おじいさんは、もらってないよ、と言い、私に向かって手を伸ばした。

コメ菓子を返せというのか、お金を出せというのか。

手にしたコメ菓子を手放したくない私は、睨むおじいさんと対峙するしかなかった。

おじいさんはちっと舌打ちして、私を睨むのをやめた。

他人の大人の舌打ちというのは幼い私には、ショックだった。恐ろしかった。

周りの子供たちの哀れみに満ちた目が、惨めさに追い打ちをかけた。

あんなに恋焦がれたコメ菓子をかじるのも忘れて、私は家に向かった。

母が恋しかった。

家に帰ると、台所に立つ母の傍に行った。母は驚いたように私を見た。

様子がおかしかったのだろう。

と、母が動いた。

私の手にあったコメ菓子をむしり取って、傍のごみ箱に放り込んだ。

母は何も言わずに私を睨んだ。それから、くるりと背を向けて、台所仕事を続けた。

この日の私の記憶はここまでだ。

 

記憶が飛んで、駄菓子屋に当たり前の様に入る私がいる。

コメ菓子事件の後、母は駄菓子屋に行くのを許したようだった。

あの日の印象が強くて、どういう経緯で、許可が下りたのか、記憶にない。

ところで、当たり前の様に店に入ると書いたが、心は違った。

おじいさんが店番の日は、店の中でずっと、どきどきした。

お金を渡す時は、必ずおじいさんと目を合わすようにした。

かつて睨まれたあの目を見るのは、拷問のように怖かったが、

何より、あの悶着が再び起こるのが恐ろしかったのだ。

店番がおばさんの日があって、そんな日は、身も心もリラックスして、駄菓子選びを楽しんだ。

ある日。店が閉まっていた。

店の隣の住まいの玄関に、忌中の張り紙があった。

駄菓子屋の店番のおじいさんが亡くなった。

 

私はこの話を書こうと思った時も、書き進めている時も、

気持ちがある一点から離れることはなかった。

ある一点とは、人の死が嬉しかった、という記憶だ。

おじいさんが亡くなって、

おじいさんがいませんように、と祈りながら店に入ることがなくなった。

他の子どもたちと同じように、

手前勝手に、少し乱暴に、お金を台に置くことができるようになった。

5歳の私は、この嬉しさは秘密にせねば、と漠然と感じた。

 

駄菓子の思い出と訊かれて、

コメ菓子万引き濡れ衣事件と母のコメ菓子ポイ捨て事件は語ったことがある。

でも。

5歳の子供が感じた、人に話すことのできない嬉しさ、については人に語ったことはない。