奢りによる驕り | らくがき

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書きたいときにつらつらと。
大人向け。

私は今朝3時半起きをしたので寝たいのだがなんだか眠れない。上司が海外のため時差の関係で朝型生活を始めていてすごく自分にあっているんだけど、こうして気が昂って眠れないことがたまにある。


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久々に嬉しい出来事がありましたね、私は伊沢拓司さんの書き物が好きで会員制のブログやらコラムやら書籍やらをだいじにだいじに読んでるんですけども。先日Xでお誕生日おめでとうございますのリプにいいねをいただきましたね。ありがたいことです。


なんだろうなんかカメレオン的というか、TPOに応じて書かれたものの纏う雰囲気が異なっていて、おりこうさんなものもないわけではないけどそれだけにとどまっていなくて、リズム感があったりごりごりだったりぶっ飛んでいたりこんな面白い読み物ほかにない。


読み物といえば、孤独をちゃんと知っている大人の男性の文章は色気みたいなものがふわっと全体を包んでいて、翳りがあるというのかな、そういうのも好き。こっちはいわばスナフキン的な魅力をもっている。


読み物ってこちらが好きなときに好きなだけその世界観に没頭できるから、世の中のトレンドとか時間の流れを無視して楽しめるのがいいよね。


私は基本あらゆる通知をオフにして仕事しているので気付いたのはだいぶ遅かったんですけど、嬉しかったなあ。なんだろう、ファンからのお祝いの言葉がその一瞬はご本人に届いているんだなって思えるのが一番嬉しいよね。これからも大切に大切に読んでいきたい。


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「奢る」って言葉あまり好きじゃないんだよな。自分では使わない。どうしても使うとしたら「ご馳走させて」とか「お会計は終わりました」とか言う。受け身なら「ご馳走様でした」とか。


仲良い人には過度な負担をかけたくない。そもそもよく知らない人とはごはん食べないし食べるとしても好き嫌いもわからんからファミレスか居酒屋さんで各々好きなもの食べて割り勘でよいのではないか。

私は可愛げがないので「奢るよ」と言われると(え…なぜ…)と思ってしまう。いわば天秤が大きく傾いたような状態になることに不安を抱く。年下には「ここは私が!!」と言うけど余裕がなさそうに見られているのか「いいです」とクールに断られることもままある。年上だとお言葉に甘えることはあるけど、別にどっちでもいいと思っている。


苦手なパターンは

「今日は俺が奢るよ」の翌日に「昨日は俺が奢ってやったんだよ!な!」「はい!鈴木係長についていきます!」みたいな主従関係が謎に生まれるやつ。


あと「ここは俺が奢るよ」のあとの「今度はここへ行こう。わかった?」みたいな突然の上から目線もやだ。(俺が奢ったんだから主導権は俺にあるよね?)みたいな。ないよ。


金銭の負担が関係性の変化を求める手段に見えてしまうと良い関係の構築は難しいと思う。


逆に気持ちがいいパターンは

「パチンコで三万勝ったからパーッと焼肉するぞ!」みたいなの。なんだか悪いなあという気持ちにさせず、「やったぜ!ラッキー!」と素直に思わせてくれるじゃないですか。これはいい。身内になったら不安であるが。