大阪ではエスカレーターは右側に乗って左側をあけるのが慣習だ。だから関東圏でふだん生活している私は新大阪で新幹線を降りたら、うっかり間違えないようにめちゃくちゃ左右を意識して歩いている。
でもこないだすごく困るシチュエーションがあった。エスカレーターを利用しているのが全員海外からの観光客で、全員関東式に右側をあけていたのだ。私が関西ぶって右側に立つとせっかく綺麗に空いている右側はふさがれる。かといって左側に立つと、(あ、関東の人なんだなあ)と思われるだろう。私は心底迷った。
さて、私はどちらに立ったでしょうか。
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こないだ家の近くを散歩してたら70代くらいの男性に「〇〇団地ってどこにあるかわかる?」と尋ねられた。わからなかった。団地名だけ言われてもさすがにわからねえよ。普段意識してねえもの。日常生活で「あ、あそこにセブンあったんかー💡」とかは思うけど「あ、あそこに〇〇団地あったんかー💡」とはならないしね。
と思ったら十数分ほど歩いた先にその団地があるのを発見した。「あ、あそこに〇〇団地あったんかー💡」と生まれて初めて思った。
私はいろんな人から声をかけられやすい。近所どころか旅行先でも道を聞かれたりする。できれば交番か、Googleマップに聞いてほしい。私がすごい嘘つきだったらどうするのか。もっと警戒したまえよ。
道を聞くばかりではない。バス停や待合室で待っていると「いい天気ねえ」とか「旅行?」などと言われるし、大阪で海外の方に「Suicaを千円で買ってくれ」と言われたこともある。手刀を切って断った。あとは日本人で「さっき〇〇にいましたよね」とかもたまに。ええ、いましたよ。いたからなんだというのか。ほっといてくれ。
しかしなぜ声をかけられるんだろう。私は真の自分をよくわかっている。私は地理に疎い。おまけに、非情だ。知らない人に声をかけられたときは内心「うわーつかまってしまったか、運が悪いな」と思っている。「人を助けることに無条件で喜びや生きがいを感じます」というタイプではない。恋人ができても尽くすタイプではなく恋人が困っているのをニヤニヤして眺めるだけなのだから、他人なら尚更である。なぜ人はこんな性悪の私に声をかけるのか。一見善良そうに見えるのかなあ。
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旅の記録に、スタンプ台の設置やステッカーの販売があったらまとめていこうと思っている。1ページ目はこれになった。
ちなみに答えは「右側に立った」でした。