学ぶ | らくがき

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書きたいときにつらつらと。
大人向け。

最近のパスワードは文字数多めにして、大文字小文字、数字や記号などを含めないといけない。

しかも一度パスワードにしたものが当分使えないだけでなく、同じ配列すら再利用できないシーンもでてきた。けっこう困る。かといって勝手に生成してもらったやつを使うのは面白くない。

このわがままをどう解決してやろうか。

しばらく考えた末、最近購入した図鑑から学名をランダムに選んでパスワードに組み込むルールにしようと思っている。えっなんでそれにしたの??みたいな縁のないやつ。まあまだやってないんですけど。


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学ぶことについて。


進学塾ではない塾の講師と家庭教師のアルバイトをしていたとき生徒の子供たちから一番多く聞かれた言葉は「なんでこんなこと勉強しないといけないの?」だった。ほんとそれね。


たとえば小学生ならつるかめ算などが難しかったり中学生ならたくさんの公式や証明問題、英語の文法や単語の暗記が嫌になってしまったりするから、理由が欲しくなるのだと思う。基礎は大切だけど面白くないもんな。自分の中に芽生えた疑問や問題を解決することが学びのゴールだったらいいけど、テストでよい成績をおさめることをゴールにされてしまうと、私も含め、みんな道に迷うのだ。


当時まだまだ未熟な学生だった私は満足な返事ができず「勉強するっていうのは可能性を広げることだと思うよ」などと返事をした。バイト三昧の身分で随分えらそうなことを言っていたのだ。


一、学びは任意

義務教育だろうと学ぶ理由を設定しようと本人にとって興味のないこと、生存に不要なこと、レベルが高すぎることは結局身につかない。逆に生存するうえでリスクになることや、自発的な意思や好奇心によって知りたいことは放っておいたって吸収する。単に楽しくて学ぶこともありうる。


一、勉強は、生きる上でさほど必要ない。

日本は最低限の生活は保証されるしくみをつくっているから、人と比べて困難がある場合でも、支援や助け合いによって生きていくことはできる。


一、学歴は自分の人間性を伝えるうえでひとつの証になる。

「何を勉強したか」ということよりも「どういう集団の中にいたのか」「年単位の努力によってどの程度成長しつづけられるか」が他者から見て予想しやすい。


一、学びは生きる上で役に立つ。

さっき生きるうえでさほど必要ないって書いたんだけどさ。

知ってて損はない、というよりも知識をより多く持っているほうが生きる上で有利になる可能性が上がるということ。

人間は経験に学ぶことができるがすべてを経験から悟ることは難しい。それを補ってくれるのが知識だ。

人間の脳程度ではラプラスの悪魔にはとてもなれないだろうが、知っていることが多ければ多いほどチャンスは増え未来を見通す力が少しだけましになる。


ひとつひとつはたいした意味なんてなくてもいい。たとえば「手紙」という言葉は日本語ではLetterを意味するけど中国語ではtoiletpaperを意味する。

「へー」とは思うかもしれないが、ほぼ使うことのない知識だろう。

でも、「ひとつの言葉がまったく違う意味を持つ場合があるんだなー」という認識ができる人とできない人とでは前者のほうが少し器用に生きられるだろう。さらにたくさんの言葉を知って中国語に詳しくなった人は、それによって得られるチャンスが広がる可能性が高まるだろう。


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結局のところ今の私も最初の問いに明確な答えはできないけど、学ぶことは、少し器用に人生を生き、ある程度思い通りにしたい場合に必要な行動なのだと思う。