領民に慕われた吉良義央(吉良上野介)だが、大名に疎まれた理由。
其れは上野介の要職にあった、その要職とは高家と呼ばれるモノ。
高家は江戸幕府に、おける儀式や典礼を司る役職。
その高家には饗応役がアリ、饗応役とは江戸時代。
天皇・上皇・女院より派遣されて江戸に下向してきた使者。
使者とは勅使・院使・女院使の事でアリ。
その使者の接待する為に、江戸幕府が設けた役職である。
つまり、京から来た公家達のお.も.て.な.し、、、そんな役職だった。
その役目を仰せつかったのが、他ならぬ内匠頭だった。
饗応役は外様大名が主に付く役職でアリ、しかも公家と武家とは、仕来たりの違いもアル。
其れに口喧しく高家等に、叱責される等、役職についた大名家は堪ったモノではない。
そんな中、饗応役に仰せつかった、内匠頭にある問題が発生した。
其れは饗応役についたモノの、肝心の上野介は京に居て、念密な話し合いが出来なかった。
結局~古い資料で、饗応役を果たそうとするが、京から戻って来た上野介から、、、
此れでは、予算が足りないとの声が出た。
その事が原因かは知らぬが、ついには内匠頭が上野介に切り付ける暴挙に出た。
この事で、公儀の意思の疎通の悪さも、露呈する形となり。
内匠頭の同情する大名家は、少なからず居たであろう。
ただし此れが、松の廊下の刃傷沙汰の原因であったかは、いまだ不明でアリ。
あくまでも俺なりの推理でアル。
ドラマが創り出した忠臣蔵の大誤解【やりすぎ都市伝説】 - YouTube
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