ドラマが創り出した忠臣蔵の大誤解【やりすぎ都市伝説】第5章 | ひろっさくんのブログ

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『ごーしちご』復活



















忠臣蔵のまとめとして、俺なりのレポート。




其れは当初の悪人は、浅野長矩(浅野内匠頭)だった。




しかし~9歳で家督し、20代の若さで切腹を命じられた。




折しも時代は綱吉が将軍だった為、世間的な同情と生類憐れみの令等。




公儀(江戸幕府)の信頼は、揺らいでいた時代。




そのうえ前年には、徳川光圀公が逝去しており。




大名家からも、公儀に対して批判の声が、あったと考えられる。




そして当初の悪人は、浅野から吉良義央(吉良上野介)になり。




公儀の対応の不味さが、江戸幕府の転覆寸前まで来た。




そして~大石内蔵助ら赤穂四十七士の、討ち入りで幕府は安泰になったが、、、




問題は吉良上野介の首でアル。




何故か2つの首が存在する?




1つは四十七士の船で運んだ物。




もう1つは首と胴体を、繋ぎ合わせた物。




しかし~吉良の首が、何処に行ったのか?




吉良邸に戻ったとも、言われるが。




其れならば、吉良邸に有る筈だが!!!




そんな記述は無いし、首と胴体を繋ぎ合わせるのにも。




ちょっと腑に落ちない。




総合的に考えれば、まだ吉良上野介は、討ち入り後も存命だったと、言わざる得ない。




まあ~真実は何時も藪の中でアル。















ドラマが創り出した忠臣蔵の大誤解【やりすぎ都市伝説】 - YouTube
http://m.youtube.com/watch?v=JNNZV7GHlC8&feature=youtu.be