忠臣蔵のまとめとして、俺なりのレポート。
其れは当初の悪人は、浅野長矩(浅野内匠頭)だった。
しかし~9歳で家督し、20代の若さで切腹を命じられた。
折しも時代は綱吉が将軍だった為、世間的な同情と生類憐れみの令等。
公儀(江戸幕府)の信頼は、揺らいでいた時代。
そのうえ前年には、徳川光圀公が逝去しており。
大名家からも、公儀に対して批判の声が、あったと考えられる。
そして当初の悪人は、浅野から吉良義央(吉良上野介)になり。
公儀の対応の不味さが、江戸幕府の転覆寸前まで来た。
そして~大石内蔵助ら赤穂四十七士の、討ち入りで幕府は安泰になったが、、、
問題は吉良上野介の首でアル。
何故か2つの首が存在する?
1つは四十七士の船で運んだ物。
もう1つは首と胴体を、繋ぎ合わせた物。
しかし~吉良の首が、何処に行ったのか?
吉良邸に戻ったとも、言われるが。
其れならば、吉良邸に有る筈だが!!!
そんな記述は無いし、首と胴体を繋ぎ合わせるのにも。
ちょっと腑に落ちない。
総合的に考えれば、まだ吉良上野介は、討ち入り後も存命だったと、言わざる得ない。
まあ~真実は何時も藪の中でアル。
ドラマが創り出した忠臣蔵の大誤解【やりすぎ都市伝説】 - YouTube
http://m.youtube.com/watch?v=JNNZV7GHlC8&feature=youtu.be