ドラマが創り出した忠臣蔵の大誤解【やりすぎ都市伝説】第3章 | ひろっさくんのブログ

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『ごーしちご』復活



















語り手 東貴博(東MAX 改 ねこまんま東)⇒その第3章。




先ず浅野内匠頭(浅野長矩)、そして吉良義央(吉良上野介)。




それぞれの人物像について。




内匠頭は性格上、切れやすいとも言われ、癇癪持ちと呼ばれる程、短気な性格だった。




こう見ると、一見~悪く思われ勝ちだが、幼少期に父母を失い。




延宝3年3月25日(1675年4月19日)、僅か9歳で赤穂浅野家の家督を継ぐ事になる。




当然ながら9歳では、政(まつりごと)等は勤まらない。




結果~政は家老等の家臣に、任せなくてはイケなくなった。




精神的な動揺で痞(つかえ)もアリ、しかも躻(うつけ)者と揶揄される等。




良い評判が無かったのが実情だが、何と無く内匠頭にも、同情すべき余地もアル。




一方の上野介は、拝領の領民に慕われる程の名君であった。




されど大名家からは、疎まれていたのも事実。




其れは何故か?




第4章に続く。















ドラマが創り出した忠臣蔵の大誤解【やりすぎ都市伝説】 - YouTube
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