私は“幸せ”を知りません。
まず、最初にこの事をハッキリさせておきます。
「私は“幸せ”を知らない事を知る」、所謂無知の知から始めます。
しかし、感じた事は有ります。
その経験を元にすれば、劣等感と同じく論理的思考によっても知る事が出来るかも知れません。
「“幸せ”を感じたい」のではなく、「“幸せ”を知りたい」です。
ここもハッキリさせておきます。
今の私にとって、“幸せ”はあまりに漠然とし過ぎています。
「何だか凄く良いものらしい」という事しか知りません。
本当に凄く良いものなのかどうかも知らないので、それすら「知っている」と言えないでしょう。
「何が“幸せ”なのか?」という事を知らずして、“幸せ”を求める事は出来ません。
唯一知っている事が有るとするならば、「私自身が“それ”である」という事です。
「あらゆる物事の結論は必ずそうなる」という事と、「外には無い」という事を知っています。
「幸せの青い鳥を探している張本人が、幸せの青い鳥である」という事ですね。
“幸せ”とは何か?
なかなか求め甲斐の有る問いです。
「“愛”とは何か?」を問うていた事を思い出します。
その時も「“愛”を知らない」という事から始めた記憶が有ります。
「何かを知ろう」と思ったら、「それを知らない」という事をハッキリさせておくのは大切なのかも知れません。
“知らない”の反対は“知っている”ですからね。
「“知らない”を受け入れると、“知っている”も受け取れる」という、何時ものスピ論理がここでも作用すると思います。