心の奥で何か言っているようですが、まだ遠くて何を言っているのか分かりません。
それは置いといて、私なりの“幸せ”の定義を述べます。
それは、“幸せ”を認める事です。
“幸せ”を許可する事でも良いです。
これはその人自身にしか出来ませんが、“幸せ”を認めるにはそれに足る器が必要です。
自身の器が“幸せ”よりも大きくないと、“幸せ”を己の内に収める事は出来ません。
それは自明です。
この理屈で言うと、「“幸せ”を認められる人は、“幸せ”よりも上に居る」という事になります。
それは「“幸せ”よりも高い次元が存在する」という事を意味します。
そうなると、「それは何か?」となるのは自然の流れです。
「何か言っている」と感じるのは、それかも知れません。
私は新たな発見をする度に「もう充分だ」と言い続けていますが、何時もその時点よりも上(先)が見えてしまいます。
「全人類の共通の目的として説明が付く!(“愛”では不充分だった)」と思った“幸せ”ですら、それほど日も経たずに同じ事になってしまいます。
ここまで来ると、もう何でも良いですね。