“死”の可能性有り | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

一夜明けましたが、「完全に外れている」とは言えません。

 

イメージしていた“死”と随分違いますが、感じ方から察するに“死”という言葉を当て嵌めても違和感があまり有りません。

 

このまま“死”を模索します。

 

 

 

私は“死”を肯定します。

 

感じている以上肯定以外の選択肢は無いのですが、感じているものが“死”ではなかったとしても、“死”は肯定します。

 

昔からそうだったような気もします。

 

この価値観は現代社会では変人・狂人の類いかも知れませんが、実際そうなのだから仕方ありません。

 

 

 

感じれば感じる程、“死”であるような気がして来ます。

 

やはり“死”は観照可能なものなのでしょうか?