一夜明けましたが、「完全に外れている」とは言えません。
イメージしていた“死”と随分違いますが、感じ方から察するに“死”という言葉を当て嵌めても違和感があまり有りません。
このまま“死”を模索します。
私は“死”を肯定します。
感じている以上肯定以外の選択肢は無いのですが、感じているものが“死”ではなかったとしても、“死”は肯定します。
昔からそうだったような気もします。
この価値観は現代社会では変人・狂人の類いかも知れませんが、実際そうなのだから仕方ありません。
感じれば感じる程、“死”であるような気がして来ます。
やはり“死”は観照可能なものなのでしょうか?