可能性が見付かる | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

1つ可能性が見付かりました。

 

後出しになりますが、数日前にも今と同じ可能性を見ていた事を思い出しました。

 

「これ以上無いものを意味するか?」問われると微妙ですが、「最後を意味するか?」と問われれば「そうだ」と言えるものです。

 

“死”ですね。

 

秘密というものはタブーの中に隠されています。

 

恐れて近付かないものの中に、秘密というものは隠されています。

 

“死”は秘密を隠す場所として最適でしょう。

 

 

 

“死”を観照する事が出来るか?

 

これが問題です。

 

もし観照する事が出来たなら“私に観照されている死”と、“死を観照している私”とに分離します。

 

この時点で私は死なない事になります。

 

そして、再び“死”と統合して、「私は“死”である」という結論に至るでしょう。

 

数日前にも観た可能性というのは、その「私は“死”である」というものです。

 

「私は何なのか?」という問いに向き合っていた時の事です。

 

 

 

間違っていれば答えは出ませんから、正しいかどうかは直ぐに判明します。

 

今の私に出来る事は「“死”を見詰める」という事です。

 

正しかろうが間違っていようが、それしか出来ません。

 

私の意識が無い時、つまり私が熟睡している時にも在る何かなら、“死”というものを知っていると思うのですよ。

 

熟睡と“死”は「意識が無い」という点で同じなので、「意識が無い事を知っている者なら何か知っているんじゃないか」と思うわけです。

 

“死”そのものかも知れませんし、“死”を別の言葉に置き換えたものかも知れません。

 

とにかく、私が「これが一番求めた答えだ」と分かればそれで良いです。