私はずっと何かを探して(求めて)います。
それが何かは分かりませんが、見付かれば「これがそうだ」と分かる気がしてならないものです。
それはおそらく、自分自身の目に見えない姿、自分自身の本質を端的に表現出来る言葉だと思っています。
その最有力候補だった“愛”は見付けて久しいですが、どうやら他にもう1つ有るようで、今はそれを探しているのです。
「それは“お金”、あるいは“何もしない”に通ずる何かだ」という考えは、今もさほど変わっていません。
「それが分かれば、“お金”も“何もしない”も分かる」と思っています。
私はそれを「究極的な答え」と呼んでいます。
「それさえ分かれば、後は全てどうでも良い」と心から思えるような、「夏休みの宿題を全てやり終えて後は遊ぶだけ」というような、そういうものを思い描いています。
「どんな自分だったらそうなるのか?」という答えを私は欲しているのです。
その手懸かりは今、私のお腹に感じられるものとして在ります。
その答えに辿り着ける可能性が有るのは、このお腹で感じられるもの以外に有りません。
“何もしない”で止まっていたものが、今やその奥へと進んでいます。
私は新しい発見が有る度に、これで終わりになる事を常に期待しています。
もちろん、今回もそうです。
「もう、これ以外に何が在るんだ?」というものを発見する度、外の世界から離れて自分自身に近付いています。
とっくの昔に外の世界に戻る事は出来なくなっていますが、十牛図が示すように最後には再び戻る事になるかも知れません。