“何もしない”は言い換えられるのか? | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

私は今まで“何もしない”が最終形だと思っていたのですが、もしかすると言い換える事が出来るかも知れません。

 

「何故言い換える必要が有るのか?」と言うと、私のスピリチュアルは最終的に「私は○○だ」という形を以て結論になる為です。

 

「何故そこまで至る必要が有るのか?」と言うと、「それが私の願望実現の形だから」です。

 

私の願望実現の根幹は「自分自身を知る事」に有るのですが、その「私は○○だ」という結論に至る事が自分自身を知った事になるのです。

 

 

 

「私は“何もしない”である」では駄目だと思います。

 

そもそもそれだと今感じているものに合わないし、今までの経験から言うと性質や要素を単語1つで表現出来る形になるはずです。

 

例えば“怠惰”や“無能”とかですね。

 

感じているものは全然それらっぽくないのですが、ともかく単語1つで“何もしない”を説明し切れるようなものです。

 

「ああ、それなら何もしなくて良いよね」と、直ぐに理解出来るような何かです。

 

私のお腹にそれが在るのを感じています。

 

 

 

私は常日頃、「お金が有ったら何もせんわ」と思っています。

 

「お金が沢山有るのに、まだ何かをしているなら、お金を持っている意味が無いだろう」とか思っています。

 

私にとって“何もしない”と“お金”はほぼイコールか、密接な関係が有るのです。

 

“何もしない”を突き詰める事は、“お金”を突き詰める事にもなり得るのです。

 

「ああ、それなら何もしなくて良いよね」という理解は、同時に「ああ、それならお金は要らないよね」という理解になり得るのです。

 

今まで“何もしない”で止まっていたその奥に、“それ”が在るかも知れません。