“有る”と“無い”のせめぎ合い。どっちが正しいのか? | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

開設時の当ブログの名称は「あるのかないのかどっちなんだ!」だったと記憶しています。

 

漫画北斗の拳のワンシーンが元ネタなのですが、解釈の仕方次第では非常にスピっぽくもあったので、割としっくり来ていたように思います。

 

本記事のタイトルで思い出しました。

 

「過去の私の問いを今の私が考える」というのも中々にオツで、“お金”の事に関してもそれと同じような事をやっている気がするので、改めて振り返りたいと思います。

 

 

 

「“お金”の事で繰り返しているパターンは何?」という事から振り返ります。

 

目に見える形としては、「就職と離職の繰り返し」です。

 

私はその事自体は特に何とも思いません。

 

「パターンを解除したい」とも思いません。

 

在るのは、「そこにどんな私が居るのか?」という興味だけです。

 

繰り返して行く中で、少しずつ隠れている私を発見し、何かにつけて騒ぎ立てるエゴを減らし、「もうそんなに沢山は残っていないはず」と思っているのが今です。

 

 

 

離職するとお金が入って来なくなり、生活は貯金と失業保険が頼りになります。

 

どちらも生涯を賄える分が無いので、やがては持ち金が尽きる時が来ます。

 

新たに就職するタイミングは、その「持ち金が尽きた時」です。

 

「お金を出し切った時」と言って良いかも知れません。

 

エゴにとっては絶望の繰り返しに近かったと思いますが、私は今もこうして何事も無く存在しています。

 

むしろ、「ああでなかったら、今も変わらぬ地獄に居たか、とっくに命を落としていたかも知れない」と思っています。

 

簡単に言えば、「それで良かった」という事です。

 

 

 

毎度その時の事なのですが、口座の残高を見ては「まだ有るな」をやっていたのです。

 

今も全く同じなのですが、確かに残高はどんどん少なくなっても、未だに「まだ有るな」です。

 

「どこまで減れば“無い”に転じるのか?」という事を試しているかの様でもあるのです。

 

この“有る”なのですが、その度にいちいち私が「まだ有るな」と口に出して言っているわけではありません。

 

そういう認識が先に在って、その後にそれを言語化したものが「まだ有るな」なのです。

 

なので、認識は“有る”なのです。

 

 

 

しかし、それとは別にやたら焦って喚き散らす私が居ます。

 

残高が少なくなるにつれ、その声は大きくなります。

 

残高が少なくなっても“有る”という認識をし続ける私(?)とは別に、“無い”と叫ぶ私も同時に居るのです。

 

こうなると、私の中では“有る”という認識と“無い”という声がせめぎ合う状態になります。

 

まさに、「あるのかないのかどっちなんだ!」です。

 

 

 

今までは“無い”の声に従ったと思います。

 

しかし、今回私が試そうとしているのは、この声を放置する事です。

 

ただ考えも無く放置するわけではありません。

 

隠れている私を捕まえて、私の一部として受け入れ、結果的にエゴの願望を実現させる為です。

 

今の認識が“有る”なら、“無い”と言っている私が居なくなれば、“有る”しか残りません。

 

そういう目算で試みているのです。