ちょっと体調を崩したのですが、その時最初に思ったのは「早い治さねば」でした。
しかし、「『人生に起こる事は何でも受け入れる』と言っておきながら、体調不良を否定するのは如何なものか?」と思った私は、「体調不良で良し」としながらも薬や食べ物で快復を計りました。
「体調不良は嫌だ!」という意識で薬や食べ物を口にしたのではなく、「体調不良だから薬と栄養を取ろう」という、「喉が渇いたから水を飲もう」と大差ない姿勢でした。
何のメッセージ性も感じない、ただの風邪の初期症状だったのか、次日にはほぼ快復しました。
その時の私は「ただ行動をしただけ」というよりは、「ただ居るだけ」に近い状態でした。
いや、「ただ観ているだけ」の方が正確かも知れません。
そう思った時、「何故、『観る』という事が出来るのか?」という疑問が起こりました。
「何が有るから、『観る』という事が出来るのか?」でも良いです。
眼球が無かったら「色を見る」という事が出来ない様に、その何かが無かったら「何かを観る」という事も出来ないはずなのですよね。
「観る側を観る」という事が不可能である事を承知の上で、「それを知る事が出来ないか?」を考えようと思います。
言ってしまえば、もうそれが“本当の自分”とか“悟り”と呼ばれるものだと思います。
このブログでも以前は“鑑照者”という言葉で表現しましたが、まさにそんな感じです。
最有力候補は“意識”ですが、今の私には合わない言葉です。
一体何でしょうか?
反応はほとんど無いに等しいです。
身体の何処も反応を返しません。
ほんの僅かに興味を感じる程度です。
純粋な認識や知覚が必要になるのでしょうか?