“お金”の受け取り拒否 | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

私の中であらゆる思考や想像を用いて試行錯誤した結果、まず出て来たのは「受け取り拒否をしているのではないか?」という事でした。

 

私の中に在るものでさえ受け取り拒否をしてれば、それを他者から受け取る事は出来ません。

 

相手が喜んで出してくれたものであっても、私は色々な理由を付けて「受け取れません」と突き返す事でしょう。

 

「思い当たる節が有る」と判断したので、この可能性を追求しようと思います。

 

 

 

“お金”の本質は“交換”と言われる事があります。

 

私は全くその意味が分からなかったのですが、そこに「受け取り拒否」を当て嵌めると、私が“お金”の受け取り拒否をしている理由が見えて来ます。

 

それは、「受け取る“お金”に対して、差し出せるものが無いから」というものです。

 

要は「私はその“お金”に見合う価値を持ち合わせていない」と言いたいのでしょう。

 

「タダで受け取るわけにはいかない。相応の価値と引き換えに」という、至極真っ当な考えを持っている事は評価するとしても、「このままで良い」とは言えません。

 

 

 

ここで私は自身に突っ込みを入れます。

 

自分の中に在るものさえ、何かと引き換えにする必要が有るのか?

 

“お金”と引き換えに得ようとした“愛”は、そのまま(タダで)受け取ったではないか?

 

“お金”も同じ事が出来るのではないか?

 

私の中に“お金”が在るのなら、それは既に私のものであって、そもそも拒否する事は不可能ではなかったか?

 

「考えている事はいちいちまとも」と思いますが、どうも納得には至らない感が在ります。

 

「受け取り拒否をしている」という可能性を軸にするのは良しとして、もう少し様子を見る必要が有るでしょう。