「生きるとは何か?」を考える4 | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

学び続ける事、己の道を歩み続ける事、己と向き合い続ける事…と言った具合に、「○○を死ぬ瞬間まで続ける事」が、生きるという事かも知れません。

 

ちゃんと死ぬ事まで含んでこその「生きる」です。

 

人によっては“挑む”だったり、“戦う”だったり、“逃げる”だったり、色々有るかと思います。

 

本当はその様に一言で表現出来るのが一番良いですが、私はまだその域には達しません。

 

強いて言うなら“学び”でしょうか?

 

生きるとは“学び”である。

 

…当たらずとも遠からずな気がします。

 

 

 

胸に感じるものが在ります。

 

表面的には何を考え、どんな行動をしようが、それを感じ取る事が最優先です。

 

「生きるとは何か?」を考えているのも、「その答えを求めている」のではなく、本当は「感じているものを知る事」を求めているのです。

 

「生きるとは何か?」という問いが、「感じているものを知るのに役に立つ」と期待するからこそ、こうして考え続けているのです。

 

私の全ては「感じているものを知りたい」という一点のみ。

 

言っている事が大きく異なっていたとしても、その点からは一歩も動いていません。

 

 

 

なので、「生きるとは感じ続ける事」も正しいと言えば正しいです。

 

それだと生きる事に関わらず全部がそうなってしまうので、生きる事のみに焦点が合った具体的なものを知りたいのです。

 

先に述べた“学び”みたいに、生きる事それ自体と完全に一致する言葉(単語)が有るなら、それを知りたいのです。

 

何なら“生きる”でも構いません。

 

「私の中に“生きる”が在る」と認識出来る状態になれば、「生きるとは何か?」の答えとしてこの上ないものとなるでしょう。