今日も起きてから色々考えました。
・“仕事”=“お金”か?
・「働けばお金が手に入る」というのは事実だが、「お金を手に入れるには働く以外に方法は無い」というのは事実か?
・「何かをしないとお金を手に入れられない」というのは事実か?
・手放すのは“お金”ではなくて、そういう観念の事なのか?
…と、追求のし甲斐が有りそうなネタがボロボロと出て来るのですが、やはり「何らかの観念が有って、それを突き止めるのが先決だ」と思います。
観念とは他人のものであって、自分のものではありません。
私は「自分の中に在るものは全て認め、受け入れる」と決めていますが、それは「自分のものである事」に限られます。
故に、他人のものは認める事も受け入れる事もせず、ただ捨てるのみです。
観念というのは、捨てるしか用途の無い“ゴミ”なのです。
私が持っている観念は、「働く以外にお金を得る方法が無い」と言った感じのものだと思います。
あくまで「そういう感じだと思う」というだけで、「そういう観念を持っている」というわけではありません。
「どんな観念を持っているのか?」を突き止めないと意味が無いのです。
感じられている時点で「変な事を言っているな」と察せるレベルですから、本当に変な事を言っていると思います。
これからそれにのみ全集中します。
“お金”に関する全ての元凶がその観念に有るのなら、暴き出せれば私が求めた“お金”の答えを、“お金”の本当の姿を発見出来るかも知れません。