“お金”とは“数字”。
だとするならば、私は「“数字”が現代における神仏だ」と言っている事になります。
世の中を見れば「確かにそうかも知れない」と思う事は多々有ります。
私がすっかり毒されていても何の不思議もありません。
私は“数字”から解放されたいのでしょうか?
…「絶対違う」とは言い切れないものを感じます。
この考察が正しいと仮定するなら、“数字”から解放される手段は一つしかありません。
“数字”を感じて、その本質を見極める事です。
今感じているのが、その“数字”かも知れません。
「“数字”とは何か?」という事ですね。
鳩尾に何か詰まりを感じます。
ゲップが出始めているので、空気として物理的に詰まっているのでしょう。
これを全部出し切れば、見えて来るものが有るかも知れません。
正体が分かればこっちのものです。
逆に私がそれを支配して…いや、一つになって“それそのもの”に成れます。
“数字”は何を語るのでしょうか?
“数字”とは実体の無い概念ですが、「何を言っているのか?」が分かった時、実存として私の中に刻まれるでしょう。
“お金”が欲しかったのではなく、“数字”が欲しかったのなら、その“数字”が語る事を知る必要が有るのです。