“観照者” | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

“観照者”とは便宜上付けた名前で、「悟りとは、おそらく“これ”の事を言っているのだろう」とも、「冷静に私を見詰める何かが在る」とも言っている“何か”の事です。

 

“それ”が在る事は何度か経験したが、“それ”が何なのか迄は分かっていない。

 

これが今の私の立ち位置です。

 

「だったら分かってしまえば良いのではないか?」という事で、これからこの“観照者”に挑みたいと思います。

 

“これ”が仏陀の悟りなのか?

 

「私には私の悟りが有る」と思っていたが、“これ”がそうなのか?

 

“観照者”を悟る事が出来たなら、それらも自ずと分かる事でしょう。

 

 

 

ちなみに“観照者”では理解する事が出来ません。

 

インナーチャイルドを“インナーチャイルド”では理解出来なかったのと同じだと思います。

 

インナーチャイルドを理解する言葉が“酷く傷付いた子供”であった様に、“観照者”を理解出来る言葉が有るのかも知れません。

 

要は“意味”ですね。

 

名前ではなくてその“中身”です。

 

 

 

鳩尾が締め付けられる様な感じがします。

 

私にはお馴染みで特別な事ではありません。

 

そもそも、何で今まで放っておいたのでしょうね。

 

恋愛と変わらないですよ。

 

何度も経験しているのに、アプローチの仕方を間違えて掴み損ねているところなんてそっくりです。

 

今回は上手く行くでしょうか?