惜しいけど… | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

「何もしない(しなくて良い)」というのもまた、“楽”に通ずるものが有ります。

 

私が望む事は全て、「“楽”である事」という点で共通している様に思えます。

 

しかし、感じ方が“楽”ではありません。

 

「非常に惜しい」とは感じますが、「ズレ無く“楽”を感じているか?」と言うと、そうではないのです。

 

言葉としては間違ってはいなくとも、ニュアンスが違うのかも知れません。

 

もっと感じているものを分析する必要が有るでしょう。

 

 

 

「“楽”をしたい」と思うからには、「今は“楽”ではない」という事です。

 

その「“楽”ではない何か」を突き止めなくてはなりません。

 

“楽”の反対概念は“苦”と言われています。

 

「だったら“苦”を感じているのか?」と言うと、“苦”なのか分かりません。

 

「“楽”とは言えないが、“苦”とも言えない」というのが現状です。

 

“苦”だったら話は簡単で、「これは“苦”だ」と自覚した上で味わい尽くせば、その“苦は”やがて“楽”へと転じる事でしょう。

 

「望む事の反対概念も等しく受け入れる事が、真に望む事を受け入れる事だから」ですね。

 

 

 

「全てはある共通の“何か”を目指している」という事は重要な手掛かりです。

 

私にとって「“楽”をしたい」とは、「最適解を見付けたい」という意味に近いかも知れません。

 

最適解に沿えば、何をしても(しなくても)“楽”になりますからね。