“欠乏”の反対概念を意味する言葉は幾つか有る様ですが、今のところ辛うじて反応を引き出せそうな言葉が“裕福”です。
お腹が詰まる様な反応をしています。
ほとんどの場合、詰まる感じが有るとすれば鳩尾なので、珍しい反応の仕方をしていると思います。
そのせいで若干自信が揺らぎますが、鳩尾の時と同じ様に捉えてみます。
その反応が明確に“裕福”と言っていて、求める“富”がそれだと分かり、具体的な行動なり現象を経て実際に財を持つに至れば、“金”の問題はクリアー出来ると思います。
まずは第一の関門である反応を読み解かなくてはなりません。
現状は“裕福”という言葉に反応しているだけで、反応しているものが“裕福”だと決まっているわけではないのです。
「“裕福”という言葉に反応しているのに、それが“裕福”ではないという事が有り得るのか?」という事ですが、これは有り得る事です。
著しく異なっている時も、正しい時と同じくらいに強い反応を示すのです。
だから、本当に当て嵌める言葉が正しいかどうかを精査する事が必要になるのです。
間違っていれば反応は何時までも形を変えず残り、正しければ数日で別の形に変わっている事を自覚出来ます。
それが精査であり、それを以て正誤を判断するのです。
私は“欠乏”を受け入れました。
「受け入れる」とは、認める事と同義です。
「本当にそうだったら」の話ですが、“裕福”ももちろん受け入れます。
「私に“裕福”は似合わない」なんて言いません。
それが私の中に在るなら、「それが在る」という事実をただ機械的に認識するだけです。
在るものは在り、無いものは無い。
「在るか無いか」は問題ではなく、「それが事実かどうか」が問題なのです。