私は相当に“何か”が高い | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

私の基準は相当に高い水準にあると思います。

 

「下げれば良いのに」と思っても、予め固定されているが如く、私ですらコントロール出来るものではありません。

 

「低い水準で心底満足出来たらどれだけ楽な事だろう」と思いますが、高いものは高いのでそれに合わせる以外に真の満足を得る事が出来ません。

 

一瞬の妥協は出来ても、生涯妥協し続ける事は出来ないのです。

 

妥協して生きていれば、「何の為に生きているのか分からない」となるのが目に見えています。

 

 

 

「何の水準が高いのか?」という事ですが、これは今までの流れから収入に直結する事だと思います。

 

“裕福”という言葉から低い収入がイメージされない様に、高い水準の収入が簡単にイメージ出来る様な性質を、私は持っているのかも知れません。

 

私自身がその水準に近付く為に、今こうして模索しているのです。

 

「レベルが低いから修行する」と言ったのもそうで、その時の私は自身の水準に満たない事を感じ取っていたわけです。

 

しかし、それは裏を返せば「私は既にその水準にある」という事です。

 

自らその水準よりも低い状態に貶めていたに過ぎません。

 

 

 

「上げる」と言うよりは「元に戻す」と言う方が正しいでしょう。

 

「私は高い。それも相当な水準で」というのは、おそらく事実でしょう。

 

何をどうしてもその逆の考えでは合いません。

 

何が高いのか?

 

知れば「高い」と分かる性質は何か?

 

それを探し求めます。

 

それが“裕福”や“富”と合致すれば、それが答えとなるでしょう。