“梵”とは“我”以外の全て | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

これは言い換えるなら自分以外の全て、認識客体になり得るもの全てです。

 

“世界”とか“宇宙”と言ってしまっても良いでしょう。

 

これなら「私は“世界”だ」も、「あなたは私」も、「自分は居ない」も、「“今”しか無い」も、私の中で同じ事として消化する事が出来ます。

 

何も認識していないか、同時に全てを認識している時、体験として理解出来るかも知れません。

 

その時、何か残るものが在るなら、きっと“それ”なのです。

 

 

 

これで正しいのかを検証しなくてはなりません。

 

実はしばらく前から「早く済ませてしまいたい」という衝動の様なものを感じているのです。

 

「もう行き着く所まで行こう。他の事はその後で良い」みたいな感じです。

 

それは「悟り切ってしまえ」と言っている様にも思えました。

 

私が「もう残っているのは“金”か“悟り”くらいしか無い」と思い続けたから、そう思ってしまったのかも知れません。

 

 

 

“梵”と“我”がひとつになる時、同時に“梵”も“我”も消えるでしょう。

 

体験していなくても、そうなるであろう事は予想出来ます。

 

その為には「全てを受け入れる」という事が必要になるのかも知れません。

 

今までは「客体の中で特定の1つだけ」という感じだったのが、今回は「その全て」です。

 

この考えが正しいのか、「全てを受け入れる」という事が出来るのか、それは分かりませんが試みる以外の選択肢は有りません。