私は敬うに値する何か | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

思えば、私は何かに敬意を抱いた事は無かったと思います。

 

「凄いな」と思った事は有りますが、その本質は自己肯定感の低さ故であって、心からの敬意ではありません。

 

相手を貶めて自分を持ち上げる事を「マウントを取る」と表現しますが、私の「凄いな」は自分を貶めて相手を持ち上げる「逆マウントを取る」だったのです。

 

媚を売った結果の「凄いな」に、何処にも敬意など有りません。

 

本質的にはバカにしているも同然で、敬意とは全く逆です。

 

 

 

何故、そんな事が浮かんだのか分かりません。

 

私は自身を「敬うに値しない」と思っているのかも知れません。

 

しかし、心の奥底では「真に敬える存在が居るとしたら、自分自身以外に居ない」と思っている事を知っています。

 

それは紛う事無き事実で、絶対にそういう結論になるでしょう。

 

“今”感じているものは、そういう事を言っているのだと思います。

 

 

 

全く思ってもいないものが出て来ました。

 

「“金”か?“悟り”か?」という予想とは大きく外れてしまいました。

 

…と言いたいですが、その両方に共通する要素として“敬意”があってもおかしくない気がします。

 

私の中に“敬意”が在るのなら、それは既に私のものです。

 

感じられている以上は何であれ、それを否定する事は出来ません。

 

ただし、それは「本当に“敬意”だったら」の話なので、これから慎重に精査せねばなりません。

 

 

 

それは何かを言っている様に感じます。

 

「敬っている」と言っているのなら、私は敬われる存在です。

 

現段階では何も予断は出来ません。

 

「確定されていない何かを感じている」という事以外、確かなものは何も無いのです。