刈谷市の新居に移りました。
これで2ヶ月前に刈谷市に居た時とほぼ同じ状態に戻りました。
…と、それは良いのですが、私が気にしているのは“今”の事です。
間違っていないはずなのに、何だかスッキリしません。
それは刈谷市に来ても同じです。
ほぼ希望通りの場所に来れたのに、何だか違う場所に居る様な気がするのです。
睡眠も上手く摂れているとは言えません。
快眠出来ない状態がずっと続いています。
それでも気力や体力に衰えを感じるわけでも無く、「このままでは病んでしまうのでは?」という気配も見えません。
きっと、何か大事な何かが私に届いているのでしょう。
どうしても意識が未来に飛んでしまう様です。
その度に“今”に意識を戻すのですが、何度やっても気付けば“未来”に飛んでいます。
「流石にちょっと変だ」と思った私は、「もしかして、“未来”を感じているのではないか?」と考えてみました。
感じているものが“未来”と言っているわけではなく、意識が頻繁に“未来”に飛ぶ事から、「意識が“未来”と言っているのではないか?」と考えたのです。
「感じているものが言っている」のではなく、「意識が言っている」という事です。
これは初めての事ですが、どういうわけか「全く違う」とは言い切れません。
それは「“未来”も“今”感じている」という事を学んだからなのかも知れません。
もしこの考えが正しければ、“未来”を感じる事が“今”に在る事になり、逆に“今”に戻ろうとする事は“今”に無い事になります。
“未来”かどうかの確信は有りません。
“未来”という言葉と、感じているものが一致しているわけではないからです。
それでも、「“今”感じているのは“未来”だ」という前提で掘り下げてみる価値は有ると見ます。
不安も何も有りません。
在るのは、“未来”かも知れないよく分からない何かだけです。
これが何年か前かだったら「働く事」だったと思います。
確かに働かないといけない事が分かっていた意識が在りました。
そんな感じのもの、近い“未来”にやらなくてはいけないと分かっている事、それを意識は示しているのかも知れません。
“未来”だったとして、その内容が何であれ、私はそれを認めて受け入れるだけです。
どうせ逆らう事は出来ないのです。
そして、逆らう意味が無い事なのです。
それは「大変良い意味で」…です。
どうせ来ると分かっている事なら、早い方が良いでしょう。
「“未来”よ、“今”に来たれ」…です。
もう来ているのでしょうけど。