何も問題にしなければ、何も問題にならない | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

「“今”この瞬間において、不足は何も無い」という言葉を見聞きした事が有ると思います。

 

私にしっくり来る言葉に言い換えると、「“今”この瞬間において、問題は何も無い」となります。

 

私の場合、「外の世界には」という条件を付ければ「全くその通りだ」と思います。

 

それは「内なる世界には問題が有る」と言いたいわけですが、ここに来て「私は自分で問題を作っているだけではないのか?」と思う様になりました。

 

「内にも外にも初めから問題は無かったのでは?」と疑い始めているのです。

 

 

 

冷静になって考えてみると、収入が無くなる事の何が問題なのか分からない事に気付きます。

 

私が一人で「問題だ」と騒いでいるだけに過ぎないのではないか?

 

私が問題を作っている張本人ではないか?

 

問題を作るのを辞めたら良いだけではないのか?

 

今まで考えた事も無い考えが次々と浮かんで来ます。

 

 

 

そもそも、“問題”とは何か?

 

“心配”と同じく、する必要も意味も無い事ではないのか?

 

“問題”が無くなると困る事でも有るのか?

 

私は知らず知らずの内に“問題”に執着していたのか?

 

私に“問題”は要るのか?

 

“今”その答えを出すなら、私は「要らない」と答えます。

 

 

 

もう一度考えたいと思います。

 

収入が無くなる事を問題にする事に、意味や価値はあるのか?

 

自分とは全く関係無い人が同じ事を問題にしていたら、私はどう答えるか?

 

一緒になって「それは大変だ」と騒ぐのか?

 

“今”その答えを出すなら、「死にはしないから大丈夫」でしょうか?