「もう得ている」という可能性 | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

承認欲求とか、自己顕示欲とか、支配欲とか、そういうものを抜きにして、純粋に「“収入”を得たいが為の手段」とするならば、起業も労働も同じです。


“収入”を得る手段は他にも沢山有りますが、「単純に“収入”が欲しいだけである」という前提で考えてみますと、私は既に得ている可能性が有るのです。


今、感じているものが“収入”かも知れないのです。




もし、感じているものが“収入”だった場合、私は起業も労働もする事無く、既に“収入”を得ている事になります。


私は「その“収入”を土台にして、ビジネスを始める事になるんじゃないか」とも考えていますが、「起業する必要すら無い」という結論に至る可能性も有ります。


あくまで“収入”だけが目的なら、それは充分に有り得る可能性です。




感じているものは“収入”かどうか分かりません。


しかし、それは同時に「“収入”ではないとも言い切れない」という事でもあります。


私の中には“収入”ではない可能性と、“収入”である可能性が等しく存在しているのです。




感じているものは、昨日までとは全然違います。


“成功”や“堕落”を追うよりは、このまま進んだ方が正しい気がします。


これは“収入”なのか?


そうではないのか?


それを見極めるべく進みます。