“働く気が無い”に引き返す | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

「ちょっとおかしいな」という感覚が強くなったので、“働く気が無い”まで引き返します。

 

私が「恐れ」と解釈したものは、“働く気が無い”に対する理解が充分ではないか、解釈が間違っていたかで、「引き返せ」という事だったのかも知れません。

 

引き返す事を決断した途端、乱れ気味だったメンタルが安定したところを見ると、「それで良いのだ」と思います。

 

“成功”も“堕落”も“働く気が無い”を感じている中で出て来た言葉なので、「それを辿れば答えに行き着く」と思ったのですが、今回は「戻るが吉」と考える事にします。

 

 

 

核となる言葉。

 

私にはそれが必要です。

 

その言葉を知れば、「何故“働く気が無い”のか?」も、「求めるものを得る為に働く必要が無い」と思っている理由も分かるでしょう。

 

その核となる言葉こそが「私が何者であるか」を示す言葉であり、「私は○○である」という答えそれ自体です。

 

 

 

「結婚なら“愛”だ」と分かります。

 

「私が“愛”それ自体だ」と分かって(感じられて)いれば、やがては自分の中で“結婚”が成立し、外の世界でそれを求める事が無くなります。

 

私は「“働きたくない”も、それに近い形になる」と考えています。

 

「固定観念に縛られている」と言われれば、確かにそうかも知れません。

 

しかし、私の中でそのパターンが成立しているのは“愛”だけではないのです。

 

他の全てもそうなのです。

 

そんな中で、「“働きたくない”だけが違う形になる」と考える方が、私にとっては不自然なのです。

 

 

 

結婚に相当するものが起業だとしましょう。

 

私は常々「この二つは似ているな」と思っています。

 

そうなると、結婚でいうところの“愛”に相当するものが起業にも有るはずですね。

 

私が見付けたがっているのはそれなのです。

 

働く気は無くても起業する気は有るわけで、「その本質が私である」という事になれば、現在抱えている問題は全て解決するかも知れないのです。

 

「そういう可能性が有る事を知って、放置しておけるか?」と言うと、私にはそれが出来ないのです。