鳩尾の詰まりは感じられなくなりましたが、答えを得たわけではありません。
それでも、何となく「“働きたくない”は遠回しな物言いだ」という感じがします。
「本当に訴えたい事を直接伝えるのではなく、気付かせる為に敢えて遠回しに言う」というのは、現実の中でも割と有りそうな事を、自分自身でやっているかも知れないのです。
額面通り受け取っても“働きたくない”は納得してくれないでしょう。
その奥に在る本当に訴えたい事を掴む必要が有ります。
ここまで来ると、答えに辿り着く可能性が高くなります。
「○○は何を言っているのか?」という問いが出来る事は、ほぼリーチが掛かったに等しいのです。
しかし、リーチはあくまでリーチです。
当たりでも無ければアガリでも無いのです。
私の目的は「答えを得る事」であって、「リーチにこぎ着ける事」ではありません。
そして、答えが出たとしても、しばらくは「その答えに間違いは無いか」を精査し続けるくらいの慎重さが求められます。
「油断せずに」とはそういう事なのです。
“働きたくない”と言う時、そこには何か分かって欲しい事が有ると思います。
その分かって欲しい事を、私自身が分かれば良いのです。
“働きたくない”を額面通りに受け取っても駄目だし、「こうしたら良い」みたいな具体的な方法を求めても駄目なのです。
受け入れ様にも受け入れられないのは、それが真意ではないからなのでしょう。
通常、こうして新たな自分を発見して行く過程は楽しいものです。
時には「出来る限り先伸ばしにして、じっくり楽しみたい」と思う事すら有ります。
しかし、今回はそうではありません。
「無駄に引き延ばしたくない」という気持ちしか有りません。
起業を急いでいるわけでも無く、金銭的な余裕が無いわけでもありません。
ただ単純に「引き延ばす意味が無い」のでしょう。