“働きたくない”は形を変えました。
感じ方が少し違います。
私は私の人生の中において必要な事の大半を理解しているつもりですが、今感じているものは知らないものです。
その「知らないものが出て来た」という事自体が、今のところは意図した通りに進んでいる事の証明になります。
チャンスは継続中であります。
鳩尾が詰まった感じで苦しいです。
これも非常に良い兆候です。
感じていたものを高い精度で言語化出来ていないと、こうはなりません。
やはり、“働きたくない”で正しかったのでしょう。
かと言って油断は禁物です。
望む答えを得るまで、もしくは「この問題に関してはこれ以上の答えは無い」と感じるところに行き着くまで、邁進しなくてはなりません。
“働きたくない”は本当に厄介極まる問題です。
それ以外の問題は概ね解決した今、「これが無いだけでこの世は天国」と言っても良いでしょう。
この問題で悩んでいる人は、石を投げれば当たる程居るでしょう。
「“働きたくない”は人類の総意」と言っても差し支えないのではないでしょうか。
それ程、働く事は苦痛なのです。
ましてや、「働かなければ生きていけない」と強く信ずるなら、それはもう地獄です。
事実上働く事を強制されているも同然であり、大袈裟に言うなら懲役と変わりません。
解決の可能性が有るのは、内なる世界のみです。
“働きたくない”から抜け出す方法は調べ尽くしたのですが、外の世界にアプローチする限り、どれも本質的な解決にはなりそうもありません。
“働きたくない”を抱えたまま起業しようが、何かしらの手段で不労所得を得ようが、“働きたくない”は消えてくれないのです。
それだったら何をしても意味がありません。
何をしていても、本質的には嫌々働いているのと変わらないからです。