“神”の特徴 | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

「今日はこのまま寝てしまおう」と思いましたが、「私の中の“神”を書き出しておくべき」という感じが強く有ります。

 

そうしないと落ち着いて眠れそうにないので、出来る限りその特徴を列挙したいと思います。

 

 

 

・外界に干渉しない。

 

これは「何もしない」と同義です。

 

それは「何もする必要が無いから」と思っていましたが、「そもそも、何も出来ないから」という可能性も有ります。

 

「干渉しない」のではなく、「干渉出来ない」のかも知れません。

 

どっちにしても、「何故そうなのか」はまだ分かりません。

 

分かる必要が無いのかも知れません。

 

 

 

・価値基準は在り方。

 

人の基準が「どうするか(Do)」に対し、“神”の基準は「どう在るか(Be)」です。

 

言い換えるなら、「如何にそれをしなくて済ませるか(Doの度合いを減らせるか)」です。

 

片方の基準が高くなる程、もう片方の基準は下がります。

 

 

 

・複数種存在する。もしくはランクが有る。

 

現状では「唯一のもの」とは言えません。

 

“○○の神”と言った様に複数種存在すると思います。

 

そして、同じ“神”でも力の強弱(存在の質の高低)が有ると思います。

 

しかし、人とは違って「下位が上位にへりくだる」とか、「上位が下位を見下す」という事はしないでしょう。

 

「優劣や強弱で比較する」という概念は無く、単純な事実としてそれを見るだけだと思います。

 

 

 

・正体は“向き”もしくは“流れ”。

 

昨日「標識の様に“向き”を示して突っ立っているだけ」みたいな事を書きましたが、その“向き”こそが“神”そのものだと考えます。

 

“流れ”と言っても良いでしょう。

 

「何の“向き”なのか?」、あるいは「何が“流れ”ているのか?」は、今の私には分かりません。

 

それを昔の人は“導き”とか、“啓示”と表現したのかも知れません。

 

 

 

・存在で語る。

 

“神”の言葉は体現です。

 

人の言語ではありません

 

その存在の全てが非言語で語られます。

 

同じ“神”のレベルならほとんど言葉は不要で、お互いの存在のみで全てが通じ合うでしょう。

 

一人で居る時に、何かをする度に独り言を言わないのと同じです。

 

 

 

他にも何か有るかも知れませんが、今日はこのくらいで良いでしょう。