“空”は何と言っているのか? | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

今、私が感じているものは、ずっと私が探し続けていたものであると思います。

 

その先にやるべき事をやり切った安堵を感じられます。

 

「“空”とは何か?」を定義するならば、「やるべき事をやり切る事」と言えるでしょう。

 

やるべき事をやり切ったら、やるべき事が無くなりますね。

 

「やるべき事が無い、その状態を“空”と呼ぶのではないか?」と思うのです。

 

それは真の解放であり、“解脱”と呼ぶならそうなのかも知れません。

 

 

 

私が“空”と表現している“それ”は何と言っているのか?

 

何を題材にしても結局はそれに尽きます。

 

“それ”は既に感じられています。

 

「何かを言っているらしい」という事が感じ取れるのです。

 

今、私は“空”と対話しているのです。

 

 

 

この上無い“悟り”を“仏覚”、あるいは“無上覚”と呼ぶそうです。

 

「それは誰にとってなのか?」という事の答えは明白です。

 

私が「これ以上は無い。全てやり切った」と心底感じられるなら、それが“無上覚”となります。

 

誰かの“悟り”ではなく、自身の“悟り”がそうである事が肝要なのです。

 

 

 

次が有るなら「まだ何か有るな」という事が分かります。

 

今までずっとそうだったので、その「まだ何か有るな」という感覚は良く知っています。

 

従って、それが無くなれば、それも良く分かる思います。

 

私は「まだ何か有るな」と感じていながら、「全てやり切った」とは言いません。

 

まだ何か有る事を感じるなら、「これでやり切ったらと思ったら、まだ何か有った」と言います。

 

その時は「まだ何か有るの?やれやれ…」という感じで同じ事を繰り返すでしょう。