“因果” | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

元旦以降、特に今日はこのブログにしては凄くアクセスが多いのですが、おそらく1人か2人の方が幾つも記事を閲覧しているのではなかろうかと思います。

 

自らの内に秘められた何かに触れ、その答えを知る為のヒントを探しているのではないでしょうか。

 

“それを”感じている時点で、“それ”は己のものであり、己そのものです。

 

後はアプローチの仕方さえ間違わなければ、それほど時間を要せずその事を実感するに至るでしょう。

 

 

 

何を見ようが、何を聞こうが、肝要なのは感じているものから意識を逸らさない事です。

 

外の世界に見えるのは、中身の入っていない最中の様なものです。

 

感じられているなら、その中身は既に手中に収めています。

 

空の最中に惑わされてはいけません。

 

 

 

しかし、中身は人の価値観的に凄く都合の悪いものに見える事がほとんどです。

 

それが感じているものを受け取れない大きな理由です。

 

“それ”を己のものとして受け入れられるか?

 

慣れてしまえば当たり前な事も、慣れないととてつもない試練の様に思えるでしょう。

 

 

 

この時、己の程度を悟ります。

 

「身の程を知る」のです。

 

「宝石だと思っていたら石ころだった」という事を悟るのです。

 

しかし、その石ころに宝石以上の価値を観る事になるでしょう。

 

 

 

これは体験しないと分からないでしょう。

 

なので体験しましょう。

 

誰の手も必要ありません。

 

他の手は妨げにしかなりません。

 

「己の事は己で何とかする」という事を知らないのなら、この機会に覚えましょう。

 

そうすれば、今まで悩んでいたであろう「何故自分はそうなのか?」という事が、つまりは“因果”がある程度分かる様になります。

 

 

 

感じるものが有るのは実に羨ましい事です。

 

感じる事は時に大変苦しいのですが、同時に大変楽しくもあります。

 

望んで直ぐに得られるものではないのですよ。

 

出来るなら私にそれを移して欲しいくらいです。

 

上で言ってる事と矛盾していますけどね。