私の玩具は“秘密” | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

「私の玩具は何かは“秘密”です」という意味ではありません。

 

「“秘密”それ自体が玩具です」という意味です。

 

「暴く事が楽しいのか?」と言うとそうでもありません。

 

暴かれていないから“秘密”なのであって、暴いてしまうと“秘密”ではなくなってしまいます。

 

「それでは自らの玩具を破壊するに等しく、本末転倒だ」と言いたいですが、“秘密”というのは暴かれるものであり、暴く事が玩具として正しい使用法なので、結果的に本末転倒にならなくてはならないのですが。

 

 

 

“秘密”が何かを望むとしたら何を望むと思いますか?

 

隠し通される事でしょうか?

 

発見されない事でしょうか?

 

いいえ。

 

暴かれる事です。

 

“秘密”ではなくなる事です。

 

己の存在を明るみにする事。

 

それが“秘密”の本懐です。

 

 

 

だから、“秘密”というのは大半がバレるのです。

 

そうじゃないと“秘密”の存在意義が無いので、“秘密”が困るのです。

 

“秘密”はバレたら困るものではありません。

 

バレないと困るものなのです。

 

 

 

“秘密”が欲しいですね。

 

“秘密”そのものが。

 

きっとそれが私の正体なのでしょうね。