“欲しい” | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

“欲しい”という言葉が出て来ました。

 

「明らかに“モテる”よりも近い」と感じます。

 

ほとんどズレも感じません。

 

「本当に欲しかったのは、“欲しい”それ自体だった」という事なのでしょうか?

 

もっと意味を明確にする必要が有るでしょう。

 

 

 

純粋な“欲しい”です。

 

そこには欲や執着に基づく「無いから」とか、「足りないから」と言ったネガティブな不純物は一切有りません。

 

ただただ甘美で、魅力的で、楽しさと嬉しさが有ります。

 

私は我慢しているつもりは無かったのですが、欲しがる事を必要以上に抑えていたのかも知れません。

 

 

 

私はこの“欲しい”を解放させます。

 

何をどれだけ欲しがろうが、この“欲しい”ならきっと大丈夫です。

 

破滅に向かう事は決して無いと思います。

 

 

 

そして、同時に真意も模索します。

 

“欲しい”とはどういう事か?

 

私が何である事を示すのか?

 

それを知れば私の“欲しい”はさらに磐石、私の血肉となって永久に不可分となるでしょう。