“欲しい”という言葉が出て来ました。
「明らかに“モテる”よりも近い」と感じます。
ほとんどズレも感じません。
「本当に欲しかったのは、“欲しい”それ自体だった」という事なのでしょうか?
もっと意味を明確にする必要が有るでしょう。
純粋な“欲しい”です。
そこには欲や執着に基づく「無いから」とか、「足りないから」と言ったネガティブな不純物は一切有りません。
ただただ甘美で、魅力的で、楽しさと嬉しさが有ります。
私は我慢しているつもりは無かったのですが、欲しがる事を必要以上に抑えていたのかも知れません。
私はこの“欲しい”を解放させます。
何をどれだけ欲しがろうが、この“欲しい”ならきっと大丈夫です。
破滅に向かう事は決して無いと思います。
そして、同時に真意も模索します。
“欲しい”とはどういう事か?
私が何である事を示すのか?
それを知れば私の“欲しい”はさらに磐石、私の血肉となって永久に不可分となるでしょう。