ぼんやりと労働…いや、今回の記事では仕事と表現しましょう。
ともかく、今日はぼんやりと仕事について考えていました。
「女が見た目なら、仕事は金に決まっている」などと、「およそ解脱を求める者としてどうか」と思えるような事も考えていました。
女性はこれで問題無いのです。
その言葉の意味を完全に理解していて、聞けば貴方も一定の評価をしてくれる事でしょう。
ただ、仕事については「何かが違う」と感じていました。
中身が伴わず、非常に薄っぺらい。
「可愛いから」というだけでその女性をパートナーに求めたがるような浅はかさを感じたのです。
何が違うのか?
仕事とは結局何なのか?
働く事は女性の事と同じくらい私を悩ませ、苦しませ続けた問題です。
解脱もその中身はほぼ「働く事から解放されたい」がメインであり、私が言う解脱は「働く事からの解放にある」と言っても過言ではありません。
「働かなくて良くなったら、どれだけ幸せな事か」と今でも思います。
その原因は「働く事の意味が分からない」という点に尽きます。
これを“無明”と呼ぶのでしょう。
その働く事への無明が、解脱を妨げる根本的な原因なのかも知れません。
“助ける”。
突如として、その言葉が頭に浮かびました。
普通に考えると「人を助ける」という事なのでしょう。
確かに「仕事とは何か?」の答えとして、単にお金とするよりは中身が感じられます。
しかし、精査する必要がありそうです。
私の場合「どんなに高尚な目的があろうとも、外の世界に直接働きかける」というのは考え難いのです。
「仕事とは人を助ける事である」として、「そこにどんな自分が居るかを見付ける事」が目的になるはずなのです。
例えば「私は“助ける”である」という形になるのですね。
流石に強引に押し込んだので、それが自分として摘要されない事でしょうが、だからこそ精査が必要なのです。