自由に成って良いと思うが… | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

私の中で「私は○○である」という形が成立すると、私は本質的にそれを得られます。

 

表現を変えると「悟った」という事になります。

 

解脱の場合だと、おそらく“自由”が適切なものになると思います。

 

「私は解脱である」や、「私は解放である」よりも、「私は自由である」と言う方が自然でしょう。

 

この場合、「私という者が自由になる」という意味ではありません。

 

私=自由なので、“私”が居なくなります。

 

自由になる“私”は居らず、「自由だけが在る」という事です。

 

 

 

その為には、私の中に在るものが自由である事を明確に悟らなくてはなりません。

 

あらゆる視点から見詰めて、「これは自由という他に可能性は無い」と断ずるまで、精査し続けなくてはなりません。

 

現時点ではどう見ても自由では無いのですが、解脱を求めるからにはそこに自由や解放の反対概念か、自らそれを拒否している原因が在るはずです。

 

反対概念であるなら“制限”、“窮屈”、“束縛”と言ったものが在るでしょうし、拒否している原因であるなら「私は自由になってはいけない」という思い込みが有るでしょう。

 

 

 

解脱を阻害しているのは他ならぬ私自身です。

 

それは同時に解脱せしめるのも私自身のみであり、その気になれば何時でも解脱出来る事を意味します。

 

今の私には自身を縛る意味なんて何処にも有りません。

 

縛りを設けてゲームをしているなら、それは終わらせて良い事です。

 

ゲームなんてものは今使っているPS4だけで充分です。

 

 

 

惜しむらくは「どんな縛りを課しているのか分からない」という事です。

 

おそらく経験上、これが分からないと縛りを解く事が出来ないでしょう。

 

「完全に自由に成って良い」と思いますが、「どんな縛りを課しているのか?」を見付けない限り、その自由には成らないでしょう。

 

絶対やる価値の無い超絶クソゲーだと思うので、一刻も早く降りたいところです。