“仕事なんてしたくない”を感じる | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

私にとって仕事とは、したくない事の最たるものです。

 

したくない以前に、する意味すら分からないものです。

 

「仕事をしなくて済む様にする事が、本当の仕事である」とさえ思います。

 

幾つかそれらしい理由を見付けてはいるものの、未だ完全な本質に辿り着いてはいません。

 

「刈谷に居続ける為に」というのも嘘ではないのですが、自身を一応納得させる為の方便に過ぎない感は否めません。

 

「仕事なんてしたくない」というのが、私の偽らざる本音です。

 

独立が意味するのも、きっとそこに在るのでしょう。

 

 

 

感じているものも、それに同意していると思います。

 

ここは「それに深く気付かせる為に、自分から辞める事を強く引き止めたのだ」と考える事にします。

 

完全に私の推察ではありますが、こう考えると私にも「独立を考えている中で、したくもない事を辞めるのを何故引き止めるのか?」が分かるからです。

 

“仕事をする”には意味は感じなくとも、“仕事をしたくない”には意味を感じる。

 

解決しない限り無限ループを繰り返す事になるので、独立への道を拓くのが著しく困難になる。

 

だから、“仕事をしたくない”を見詰める。

 

…という事です。

 

 

 

“仕事をしたくない”には、どんな自分が潜んでいるのでしょう。

 

その自分を発見する為にわざわざしたくもない事をしているのなら、その自分を発見すればしたくない事はしなくても良いはずです。

 

独立が“したい事”なら、仕事はその対極の“したくない事”です。

 

「反対概念を受け入れて、結果的に求めるものを得る」というのが私のやり方ないしパターンですから、「“したい事”をする為に“したくない事”をしているのだ」と考え、“したくない事”の本質を掴む以外に道は有りません。