誰だって自分の思う通りに生き(死に)たいでしょう | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

「人は幸せを求めて生きている」と言われる事が有りますが、私はこれには賛成しかねます。

 

私の中に持っている答えと全くと言って良い程合わないし、そもそもそんな事は不可能だからです。

 

幸せだけを得る方法なんて存在しません。

 

幸せを求めた時点で既に不幸の始まりですし、どうやっても人は不幸を避ける事は出来ません。

 

「人は幸せを求めている」というのは、最初から破綻した考えなのです。

 

 

 

それなら「人は自分が思う通りに生き(死に)たいが為に生きている」と考えた方が良いです。

 

私の感性に合うし、実現可能な事でもあります。

 

「幸せか不幸か」という次元を超越した生き方も可能となります。

 

目先の幸せや不幸は、自分の思う通りに生きたいという欲求の前には、何のモチベーションにも抑止力にもなりません。

 

しかし、自分の思う通りに生きられる人生が不幸であるはずも無いのは明らかです。

 

悩みや苦しみが多くなるのは必至ですが、上辺だけの安っぽい幸せより、余程幸せと言えるでしょう。

 

私ならそう思います。

 

 

 

“1人でやる”も、突き詰めればそういう事に繋がるのでしょう。

 

私が特殊である事を差し置いても、組織や集団の中に本当の幸せを見付ける事は出来ません。

 

他者に依存した幸せは本当の幸せではなく、己のみに頼った幸せが本当の幸せだと思います。

 

私は別に幸せを求めておらず、今は“1人でやる”を求めているに過ぎませんが、それが実現した時には、「これがずっと持っていた幸せだという事を知るのではないか」と思います。

 

 

 

「自分の思う通りに生きたくない」なんて、誰も思わないでしょう。

 

私ですら、そうは思いません。

 

人類全てに共通する欲求が有るとするなら、それ以外に何が有るでしょう。

 

私は、私が思う通りに生きる為に、“1人でやる”必要が有るのでしょう。

 

私が誰かと一緒になれば、きっとその人の「自分の思う通りに生きたい」という欲求の邪魔をする事になるでしょう。

 

そう思うのは私が「そうだから」なのでしょうが。