“1人でやる” | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

“1人でやる”としか言っておらず、昨日私が問題にしていた「何をするか?」はその中に含まれていないようです。

 

例えば“プログラマーをやる”みたいに感じていたなら、「何をするか?」という問題も同時に解決出来ましたが、そういう事は一切感じられません。

 

今は「何だか知らないが、“1人でやる”が次(今)のステージなのだろう」という事しか分かりません。

 

 

 

私は「感じるものに意識を向けながら、自身と会話するように言葉を当てて行く」という事をします。

 

ブログを書く事、他人と会話する事、頭の中で思考を巡らす事など、言葉を用いる全ての場面において、自身と言葉の突き合わせを行うのです。

 

「自身としかコミュニケーションを取らない」と言っても過言では無く、「それ以外の事は必要では無い」とさえ思っています。

 

何故ならば、「他者とのコミュニケーションは、自身とのコミュニケーションに他ならないから」です。

 

自身とコミュニケーションを取れない者は、他者ともコミュニケーションが取れません。

 

元来口下手でハッキリ物を言えなかった私が、今では言い過ぎるくらい言う様になったのも、自身とのコミュニケーションを深め続けた結果です。

 

 

 

他者に合わせると上手く行かない。

 

「合わせたい」と願う他者とさえ合わなくなってしまう。

 

他者に合わせる事が、結果的に他者の為にならない。

 

自身に合わせれば、上手く行くべき他者とは上手く行き、離れるべき他者とは離れる。

 

自身に合わせる事が、結果的に他者の為になる。

 

私が“利他”を実現させるなら、今のスタイルを貫く他有りません。

 

“1人でやる”が正しくて、それが「組織に属さない事」を意味するなら、組織に属さない方が私の為でもあり、その組織の為にもなるのです。

 

 

 

感じるものから判断して、“1人でやる”を新しい起点にして良いでしょう。

 

そこから発展させる事を考えます。

 

本来ならその人が自力で自身の問題を解決出来れば、それが一番良い事です。

 

そうなれば私は必要では有りません。

 

「私が誰かの為になってしまう」という事は、「その人が問題を抱えていた」という事です。

 

だから、私は人の為になる事を喜べません。

 

その人が悩む事を喜ぶに等しいからですね。

 

 

 

大きく脱線しましたが、“1人でやる”の続きを求めなくてはなりません。

 

今日1日はその為に使います。

 

具体的に“○○をする”というのが見えて来たら、重い腰も上がるでしょうか?

 

それとも、何時もの様に「私は“○○”である」という事を知って、それで納得して終わるでしょうか?