「あなたが今、欲しいものは何ですか?」と問われたら、私は迷う事無くキッパリと「“宇宙”です」と答えます。
そのくらい望む事が明確になっている状態です。
“愛”の時と同じく、今はそれ以外目に入っていないと思われます。
「思われます」なのは、“自心”を強く持っていた時とは違い、“自心”を手放した今は執着が無い為に、私が欲しがっているわけではないからです。
“宇宙”を欲しがっているのは“宇宙”であって私ではないので、私からするとどこか他人事のように「多分そうなんだろうな」と思っているだけに近いです。
結果的に私も“宇宙”の望みに巻き添えを喰らう形で“宇宙”を手にする事になるでしょう。
私の内的状態から判断して、「“宇宙”が欲しい」とする願いは通っていると思います。
それは即ち「叶う」という事です。
それどころか、既に叶って“宇宙”が手元に来ている可能性すら有ります。
ただ、気付くべき者がそれに気付いていないか、判別すべき者が「何れが“宇宙”なのか」を判別出来ていないだけで。
その気付くべき者、判別すべき者はおそらく私ではありません。
願った本人である“宇宙”です。
「“宇宙”が“宇宙”に気付かないと駄目」という事です。
“宇宙”とは何なのか?
それは“宇宙”にしか知り得ません。
“宇宙”に自身を思い出してもらう以外、私も“宇宙”を知る術は無いのです。
“自心”を手放した今、“宇宙”の願いは私の願いです。
“宇宙”が望むように、私も“宇宙”を望んでおります。
この状態なら、何を望むにしてもその実現は早いと思うのですが。