とても意外な事に“仕事”の次に出て来たのは“経営”でした。
“経営”という言葉と魂からの反応に高い親和性を感じます。
「“仕事”よりはやや具体的な形にはなった」と思いますが、これで終わりではないのは明らかです。
この“経営”だけでは「私が何であるのか?」に対する答えには届きません。
また、「経営自体は面白そうだ」と思いますし、「私には出来ない」という抵抗も全く感じませんが、「何を(何で)経営するのか?」も分かりません。
おそらく、その“何”が経営する内容で、私自身の事でもあるのでしょう。
“経営”の本質は何か?
“経営”に感じられる要素は何か?
「その本質、要素が私自身である」と言いたいのではないでしょうか。
この“経営”のさらに奥へ踏み込む事が今の私に必要な事です。
「この世で最も無駄な事の1つ」と考え、全く向き合う価値を見出だせなかった“仕事”は、「輪廻転生を終わらせる」という目的を持つ事によってようやく向き合う事になりました。
今まで見向きもしなかった事ですから、“経営”が出て来た事を意外に思うのは当然でしょう。
“経営”だけではありません。
これから出て来るであろうものは全て意外な事しか無いでしょう。
しかし、今の私に「それは有り得ない」は有り得ません。
私の中で見出だせたものは、既に有り得る事しか無いのです。
もっと言うと、「感じているのだったら、在るしか無い」のです。
「有り得ない」とか、「無理だ」とか、「分不相応だ」とか、そういう否定が入り込む余地は全く無いのです。
だから、どれだけ意外なものが出て来ようと、それは全く意外なものではありません。