これは“カッコいい”ではないか? | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

もしかすると、“カッコいい”が求めた答えの可能性があります。

 

そう考えると今までの事に合点が行く部分が多くあります。

 

私は自身を“カッコいい”とは欠片も思いませんし、むしろその逆なのですが、タイプの女性を見た時にのみ感じる独特の反応があるのは事実で、それが「“カッコいい”ではない」とまでは言えません。

 

正確には“カッコいい”ではないかも知れません。

 

しかし、そうであっても意味合いは同じようなものではないかと予想します。

 

例えば「モテそう」とか「彼女が居そう」とか、そう思わせる容姿を表現するような言葉です。

 

 

 

私は女性を容姿で判断しますが、その容姿とは肉体の造形ではありません。

 

容姿とは私の内なる反応です。

 

反応と言うより響きと言った方が良いでしょう。

 

「私の中でどのように響くのか?」が、その女性の容姿の本質なのです。

 

その女性の容姿は私の中に在って、目に見える女性には有りません。

 

その女性の中身は私の内に在って、「それを判断基準にしている」という点を見ると、「私は女性を中身で判断している」と言っても嘘にはなりません。

 

中身とは容姿であり、容姿とは中身でもあるのです。

 

これは私自身にも適用される事であり、見る人が見れば“カッコいい”という響きがその内に在ってもおかしくありません。

 

 

 

私は私自身を“カッコいい”と認める事が出来るのか?

 

容姿の優れた女性を“彼女”にする事でそれが認められると思っていたのなら、自分で認めてしまえば“彼女”を得たのと同じ内的状態に成れるのではないか?

 

色々思うところはありますが、まず“カッコいい”で間違い無いかどうかを確認しなくてはなりません。

 

感じているものと“カッコいい”という言葉が一致していたら、私は晴れて“カッコいい”と言えるでしょう。

 

それまでは“カッコいい”はお預けです。