「“女”と“悟り”は非常に近しい」と思えてならなかったものですが、この2つの点を結べるかも知れない問いを発見する事が出来ました。
“女”とは何か?
この答えが私が欲している悟りそのものだと思います。
そして、これがそのまま「“女”を意のままにする方法」にもなり得ます。
私の中で散らばっていた未解決の問題を一挙に解決出来るかも知れません。
この“女”とは何か?が示すものは、簡単に言うと用途です。
「内的ではなく外的な、目に見える形でどうするのが最適解か?」と、「その様を端的に何と表現するか?」です。
それは“男”では用を足さず、必ず“女”でなくてはならない事が今の段階でも分かっています。
性欲との密接な関わりも見えます。
それは煩悩と言っても良いでしょう。
正しい“女”の用途を理解する事でその煩悩から脱する。
そして、正しく“女”を用いる。
これが私の“悟り”なのかも知れません。
“女”を物扱いするのか?
そうではありません。
今の時点では“物”とは聞こえていないからです。
“物”ではない以上、物扱いする事は出来ません。
“女”は私が“内に見出だした何か”として扱います。
もしそれが“物”だったら、それはその通りにしますけどね。