それは“女”に関わる事 | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

“女性”だとどうにもしっくり来ません。

 

遠慮しているような、飾っているような、そんな感じがして実相から離れてしまいます。

 

やはりここは“女”とした方が直接的で良いでしょう。

 

妙に生々しいのですが、より強く確かに感じられます。

 

過去に例が無いくらいハッキリしない状態が続いているので、これくらいの明瞭さは欲しいところです。

 

実際、何だか分からないそれは“女”という言葉にはそれなりの反応を示します。

 

“女”そのものでは無さそうに思いますが、「“女”に関するものである」と考えるのは間違いでは無さそうです。

 

一応取っ掛かりは得ましたので、この線で煮詰めて行きます。

 

 

 

“神”あるいは“悟り”に至る手前にもその“女”が在ると思います。

 

「同一のものではないか」と思える程、この3つの要素はほぼ並んでいて近い距離に在るようにさえ思います。

 

感じているものは“女”とは言っていないと思います。

 

その“女”に対して何かを言っているような気がします。

 

それはつまり、私に対して言っている事でもあります。

 

“女”を通してのみしか語れない事、伝えられない事があるのでしょう。

 

「それを知る事が“悟り”なのだ」とするならば、「“女”と“悟り”は非常に近い所に在る」とする考えに矛盾しません。

 

また、「女性を意のままに出来る」という点にも上手く繋がります。

 

「“恋”でも“愛”でも“結婚”でも無い“それ”は一体何か?」という事を問われているのでしょうか。